マリア・マザレロとは? わかりやすく解説

マリア・マザレロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/05 03:25 UTC 版)

マリア・マザレロ
生誕 (1837-05-09) 1837年5月9日
サルデーニャ王国
(現・ イタリア
ピエモンテ州
アレッサンドリア県
モルネーゼ
死没 1881年5月14日(1881-05-14)(44歳)
イタリア王国
アレッサンドリア県
モルネーゼ
崇敬する教派 カトリック教会
列福日 1938年11月20日
列福決定者 ピウス11世
列聖日 1951年6月24日
列聖決定者 ピウス12世
記念日 5月13日
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マリア・マザレロイタリア語Maria Domenica Mazzarello, 1837年5月9日 - 1881年5月14日)は、19世紀に活躍した北イタリアの聖女・教育者。サレジアン・シスターズ(扶助者聖母会)[1]の創立者。カトリック教会聖人であり、記念日は5月13日[2]

生涯

聖マリア・マザレロは、北イタリア北部のアレッサンドリアモルネーゼで、1837年に生まれた。信仰深い両親のもとで成長し、村の司祭であったドメニコ・ペスタリーノ神父の指導のもと、最初の生徒の一人として信心会「無原罪の聖母会」に加わり、薫陶を受けた。1860年にイタリア全土をチフスが襲った際、村人の世話を献身的に行ったが自身も病に倒れ、生死の境をさまよった。その後奇跡的に回復した彼女は、人生で何をなすべきかを深く考え、親友ペトロニッラとともに村の娘たちのための裁縫教室を開いて、教育の場とした。ヨハネ・ボスコとの摂理的な出会いを通じて、1872年に共同で女子修道会を創立し、扶助者聖母マリアへの感謝の生きた記念碑として、「扶助者聖母会」と名付けた。1881年5月14日死去。1951年列聖[3][4]

脚注

関連項目

イタリア・トリノ扶助者聖マリア大聖堂に安置されているマリア・マザレロの亡骸

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