マリア・マクシミリアノヴナ・ロマノフスカヤ
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| マリア・マクシミリアノヴナ・ロマノフスカヤ Мария Максимилиановна Рома́новская |
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| 出生 | 1841年10月16日 |
| 死去 | 1914年2月16日(72歳没) |
| 埋葬 | |
| 配偶者 | バーデン大公子ヴィルヘルム |
| 子女 | マリー マクシミリアン |
| 家名 | ボアルネ家 |
| 父親 | ロイヒテンベルク公マクシミリアン・ド・ボアルネ |
| 母親 | マリア・ニコラエヴナ |
マリア・マクシミリアノヴナ・ロマノフスカヤ(ロシア語: Мария Максимилиановна Рома́новская、1841年10月16日旧暦では10月4日 - 1914年2月16日旧暦では10月3日)は、ロシア帝国の貴族あるいは皇族。バーデン大公子ヴィルヘルムの妻。
生涯
ロイヒテンベルク公マクシミリアン・ド・ボアルネとその妻でロシア皇帝ニコライ1世の娘であるマリア・ニコラエヴナの第2子として、サンクトペテルブルクで生まれた。
1863年、ルートヴィヒ・ヴィルヘルムと結婚。2子をもうけた。
結婚後も故国ロシアを頻繁に訪問していた。1866年春、弟ニコライとともに、夏宮殿の庭園を散策する皇帝アレクサンドル2世に同行していたところ、革命家ドミトリー・カラコーゾフによる皇帝暗殺未遂事件に遭遇している。
1914年にマリアはサンクトペテルブルクで死去し、バーデン=バーデンのハリストス顕栄教会(Christi-Verklärungskirche)に埋葬された。
固有名詞の分類
| ロシアの貴族 |
カール・ミヒャエル・ツー・メクレンブルク ピョートル・ヴラーンゲリ マリア・マクシミリアノヴナ・ロマノフスカヤ アレクサンドル・スヴォーロフ アレクセイ・ベストゥージェフ=リューミン |
| ボアルネ家 |
ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ シャルル・ド・モルニー マリア・マクシミリアノヴナ・ロマノフスカヤ ダリア・ド・ボアルネ マクシミリアン・ド・ボアルネ |
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