マリア・マルガリーダ・デ・ロレーナとは? わかりやすく解説

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マリア・マルガリーダ・デ・ロレーナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/21 02:30 UTC 版)

マリア・マルガリーダ・デ・ロレーナ(Dona Maria Margarida de Lorena, Duquesa de Abrantes, 1713年2月2日 - 1764年7月22日)は、ポルトガルの貴族女性、宮廷女官。結婚に伴いアブランテシュ侯爵夫人、ペナギアオ伯爵夫人となったが、後に相続によって第4代アブランテシュ侯爵英語版、第10代ペナギアオ伯爵英語版を襲爵した。また、それらの襲爵以前にアブランテシュ公爵位を授けられた。

初代カダヴァル公爵の末子ドン・ホドリゴ・アルヴァレシュ・ペレイラ・デ・メロ(1688年 - 1713年)と、初代アブランテシュ侯爵英語版の長女アナ・マリア・カタリナ・エンリケータ・デ・ロレーナの間の一人娘。両親は叔父と姪の間柄だった。1726年12月22日、母の弟である第2代アブランテシュ侯爵ジョアキン・フランシスコと結婚したが、間に子は生まれなかった。夫の死後、その爵位・資産はまず母に、母の死後はマリア・マルガリーダに受け継がれた。

1757年2月20日、王族ベージャ公の庶子ジョアン・ダ・ベンポスタと再婚。同年の1757年5月18日、女官の最高位である王妃女官長(衣装係主任女官、Camareira-Môr)に就任する際、国王ジョゼ1世の特旨によって終身爵位(vitalício)のアブランテシュ女公爵を受けた。これは前任者である母が1753年に受けた計らいと同様だった。夫のベンポスタにも妻の公爵位を称することが許可された。実子が無いため、死後は又従弟の第7代ヴィラ・ノーヴァ・デ・ポルティマオ伯爵ポルトガル語版(1762年 - 1828年)が相続人となった。

参考文献

"Nobreza de Portugal e do Brasil" – Vol. II, page 206. Published by Zairol Lda., Lisbon 1989.

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