小室ファミリーとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 小室ファミリーの意味・解説 

小室ファミリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/02 18:24 UTC 版)

小室ファミリー(こむろファミリー)とは、音楽プロデューサー小室哲哉(Tetsuya Komuro、TK)を中心にした芸能人ファミリー。同人がプロデュースまたは楽曲提供した歌手たちを呼ぶ総称であり、TKファミリーとも呼ばれる。


注釈

  1. ^ 小室と同時にプロデューサー契約を締結した同期生として、CMJK久保こーじ・松原憲がいた[7]
  2. ^ 小室が所属する音楽プロダクション・音楽出版社と共同で権利を保有する場合もあり、小室にも原盤権から生じる印税が入る契約が結ばれるケースもあった[12]
  3. ^ 「著作権印税のみを基にした計算」の場合と「広告費の原価・広告代理店の手数料や制作にかかる全ての費用を合算した金額」が反映される契約が成される場合があった[15]
  4. ^ 主に春夏秋冬通してスタジオでTRFに向けた音色作りを活動の中心にし[18]、当時の中森明菜東京パフォーマンスドール・TMに向けた作品の制作でもそれらを反映させていた[19]
  5. ^ 「1992年頃のレイヴ全盛の頃、ロンドンでは本当にスターでした。ライヴだと環境音楽っぽいけど、一方で無茶苦茶ヒットするポップな曲も作っているんです。そういうのはもうアメリカのチャートでも上位に入っています。といっても、バンドみたいに人数が決まっているわけではなくて、ほとんどがDJスタイル。ターンテーブルとサンプラーがあって、人数も3人だったり4人だったり。4~5時間やるのが普通なので、途中で入れ替わったりもする。客の波を拾いながらやるから、楽譜があるわけでもない。見て楽しむエンターテインメントとしてのライヴとは明らかに違いますね。客も簡単に言えば一種のトランス状態。シンクロエナジャイザーが大きくなってコンサートになった感じ。僕もこういうのがやりたい、というより方向性の示唆をしてくれていた」と話している[20]
  6. ^ trfの1stアルバム「trf 〜THIS IS THE TRUTH〜」をリリースした後、自身のソロアルバムを制作していたが「これはTMで発表したい」という気持ちが強くなり、急遽中止した。その時に作られた素材はすぐに商品として発表できるレベルまで煮詰めていた[23]。そして「ループ素材を使ったグルーヴを軸にした音楽」「カラオケで気軽に歌えない音楽」を1994年春のTMのコンセプトとし、「一途な恋」をはじめとするパイロットとなるシングルを3〜4枚出し、リードシングルの無いオリジナルアルバムを出すという予告があった[24] が中止になった。
  7. ^ 小室は「本人が歌っている絵が見えないという匿名性があるにもかかわらず、音を自然に楽しんでもらえば、ミュージシャンのキャラクターがはっきり出なくてもいいという姿勢を成立させた」と評している[28]
  8. ^ 小室は「あの人は絶対損をしないシステムを作っている。『失敗しても100円でも儲ける。成功したら全部自分に入る』という契約方法ですね。日本ではやりにくいシステムですけど、なるべく僕も彼のようにしたいと思ってます。例えば僕が1曲作ったら、他のスタッフが同時進行で別バージョンを作る。MVを作る。他の人にカバーさせる。色々なアルバムに収録する。CMのタイアップをとれたら、もっとメリットがある。僕が1曲しか作らなくても、これだけできる。他のスタッフがマルチに進行してもらってる間に、僕は次の曲を書けばいいわけです」[29]「映画の本編撮影と並行して、メイキングを作る。ユニバーサル・パークス&リゾーツに映画を題材にした専門のコーナーを設ける。1つの作品でマーチャンダイジング的に儲けるシステムを構築したのです」[30]と評している。
  9. ^ 実際にtohko「BAD LUCK ON LOVE 〜BLUES ON LIFE〜[34] を例に衣装の提案・イメージ戦略の統括を担当し、楽曲制作には全く関わらないケースもあった[35]
  10. ^ 法人としては現在のエイベックス・ライブ・クリエイティブだが、2005年のエイベックス・グループ再編でコンサートの企画製作に業態変更している。
  11. ^ 華原曰く「TKファミリー内で仲の良かったアーティストは全然いない。みんなリリースの時期が近かったっていうのもありますし、1位を獲りたいという気持ちがすごい。TKのプロデュースだとみんなそう思っている。だからみんな敵なんです」と語っている(「華原朋美、小室哲哉プロデュース時代は「みんな敵」TKファミリーの内情暴露」より)。
  12. ^ 小室本人もそれをかなり意識していたようで、2008年11月1日NACK5の開局20周年番組に出演した際には「(1987年から2008年の)前半10年と後半10年は(音楽シーンが)全く違う。99年からの10年は、なかなか曲が出てこなかった」と吐露するほどであった。
  13. ^ なお、同年4月22日にリリースされた「」については小室の右腕こと久保こーじがプロデュースしている。
  14. ^ 「TRF・安室さん・globe等で書いてきた『女の子同士の共感・友情・仲間意識』『女子が裏側で流行を仕切っていて、女子が男子を品定めしている時代』『女子が主人公で表舞台に立って時代をリードしよう』より彼らの書く『異性に対するきっちりとした愛情』の方が受け入れやすくなった。女子が女子に『貴女だって可愛いんだから頑張ろうよ』から女子が男子に『貴方は素敵なんだから頑張って』という時代になった」と話している[56]
  15. ^ ただし、初期の2曲については久保こーじがプロデュースしている。
  16. ^ R&Bブラックミュージックを本格的にやってみて、本場にどこまで近づけるか挑戦してみようとしたが、僕には突き詰めることができない領域があることを悟り、このジャンルから撤退するのを決意させた」[57]「作詞の概念を変えられてしまった。とにかく僕には『Automatic』っていうのは出て来なかった。出ないってこと自体、クリエイター側からすると『出てこないんだ自分は…』ってなるんです」「歌詞のハメ方、ラジオの喋り方等、何から何まで自由で『うらやましいなあ、こんな好きに喋っていいんだ』っていうことだったり」[58]「ブラックミュージックを原風景に育ったネイティブな日本人が21世紀を引っ張っていく」[59]「ものすごい枚数が売れたと同時に『これ以上はCDの枚数は稼げないだろうな』という直感があった」[60] と話している。
  17. ^ 「歌唱力があったり、メロディが良かったり、歌詞が良かったり。僕には彼のしょっぱい感じが出せなかった」と話している[58]
  18. ^ 安室の結婚・産休がこれらと重なった影響も大きい。
  19. ^ 脱税事件による事務所とのトラブルのため。
  20. ^ 反面「当時SNSがあったら、たぶん否定的な意見に負けてしまっていたと思うんですね。1990年代はまだそこまでネットの時代ではなかったので、否定的な言葉が直接飛び込んでこなかった。いい話だけを聞けて、否定的な話には耳を閉じることが可能でした。だから前に進めた。『これでいいんだ』と」とも語っている[89]
  21. ^ これに対して小室は「ロサンゼルスに住んでいた頃は2日に1曲作っていた。日本向けのミックスを制作するという発想すらなかった。ミキシング作業は僕の意図が早く通じるイギリスかアメリカ出身のエンジニアが中心でした。だから日本のマーケットの耳も洋楽的な音像に慣れてきた」と語っている[116]
  22. ^ これに対して小室は「教育活動というほど押し付けがましいことは全然していない。トラック・テンポ等考えているけど、どうしても色は出てしまうので困る。ただ、今実験しているのが『ポップだね』と言われたらこれ程嬉しいことはない」と答えている。
  23. ^ これに対して小室は「『自分から仕切る』のはプロデューサーではないと思ってますから。僕のプロデュースの原点は最初にその人ありきで、まずその人が『何をしたいのか、どうなりたいか』をインタビューすることから始めて、僕が『叶えてあげられそうだ』と思ったら話が成立する。やり方はプロ野球監督やサッカーのコーチに近い。『成功するために一緒にいくつかのハードルを超えていこうよ』ってなるんです」と答えている。
  24. ^ これに対して山下達郎は「そうそう、まったくその通り」と答えている[125]

出典

  1. ^ 神山典士 1997, p. 194-201
  2. ^ 小室哲哉 & 中谷彰宏 1998, p. 98-101
  3. ^ “エイベックスの歴史”. 松浦勝人オフィシャルブログ「仕事が遊びで遊びが仕事」Powered by Ameba. (2006年12月16日). https://ameblo.jp/maxmatsuura/entry-10518384040.html 2006年12月16日閲覧。 
  4. ^ a b 【転機 話しましょう】(60)音楽プロデューサー、小室哲哉さん ちょっとした感謝が身を救う 栄光、挫折、復帰…すべての場面にいた“戦友””. msn産経ニュース (2012年4月21日). 2012年4月21日閲覧。
  5. ^ 文藝春秋刊「週刊文春」1995年4月27日号「阿川佐和子のこの人に会いたい 96回目 小室哲哉『浜ちゃんの曲が今までで一番心配でした』」pp.60-64より。
  6. ^ a b 月刊経営塾刊「月刊経営塾」1996年8月号「特別対談 小室哲哉VS野田一夫 『創る極意売る極意』教えます」pp.114-119より。
  7. ^ 有限会社スーパーラブ会社概要”. 2019年3月4日閲覧。
  8. ^ 神山典士 1997, p. 205-208
  9. ^ 日経BP刊『日経エンタテインメント!』1997年6月号より。
  10. ^ a b c d クレタパブリッシング刊「昭和50年男」May Vol.004「シーンを刷新し続けたエピック・ソニーとブームへの布石を築きはじめた小室哲哉」pp.14-17より。
  11. ^ a b 日本経済新聞」2022年7月20日号「私の履歴書 丸山茂雄 (20) レーベル米国流」p.44より。
  12. ^ a b 毎日新聞出版刊「エコノミスト」2008年12月9日号「堕ちた『時代の寵児』 小室哲哉被告が利用した著作権に対する世間の“誤解”」p.79より。
  13. ^ a b c 宝島社刊「宝島」1995年5月17日号「宝島VIPルーム 小室哲哉 90年代最大のヒットメーカーが語るクールな市場戦略」pp.50-53より。
  14. ^ a b 日経BP社刊『日経エンタテインメント!』1998年3月号「ビジネスとして語る、X解散、GLAYの成功、そして海外進出 『必ず売る、意地でも売る』-日本の音楽産業との10年戦争」pp.24-27,「エイベックス期待の新ヒットメーカー」p.95より。
  15. ^ a b c d e 講談社刊『Views』1995年6月号「小室哲哉の『ミラクル』全角度研究」pp.56-67より。
  16. ^ 神山典士 1997, p. 275-276
  17. ^ a b 麻生香太郎 1997, p. 77
  18. ^ オリコン・エンタテインメント刊「オリコン・ウィークリー」1994年1月24日号「SPECIAL対談 小室哲哉&trf」p.4より。
  19. ^ 角川書店刊『月刊カドカワ』1994年1月号pp.209-210より。
  20. ^ a b マガジンハウス刊『POPEYE』1994年2月25日号「私の一番回し ミュージシャン 小室哲哉さん 『瞑想的な気分とテクノロジーを結び付けたOrbの音楽。』」p.88より。
  21. ^ 小室哲哉 & 中谷彰宏 1998, p. 172-173
  22. ^ リットーミュージック刊『ギター・マガジン』2017年4月号『小室哲哉が語る"歌謡曲とギター"』pp.76-79より。
  23. ^ ダイヤモンド社刊『FM STATION』1993年5月10日号「アーチスト伝言板」p.21より。
  24. ^ ソニー・マガジンズ刊 『WHAT's IN?』1993年9月号「TMN The Super Express Interview -'94年の予告-」p.16,「T.UTUと仲間たち(木根尚登/FENES OF DEFENCE)」p.97より。
  25. ^ ソニー・マガジンズ刊 『WHAT's IN?』 1994年8月号「小室哲哉のスーパープロデュース論 後編 終了もひとつの“企画”だった!? TM Final Interview AFTER THE DOME TMN」pp.168-170より。
  26. ^ ぴあ」1999年12月6日号「小室哲哉 『時代が鳴らす音』」pp.20-24より。
  27. ^ a b 角川書店刊『月刊カドカワ』1994年12月号『小室哲哉 疾走するヴィジョン』pp.105-120より。
  28. ^ 同朋舎刊「WIRED」1997年5月号「小室哲哉インタビュー 名詞+動詞+情報=音楽」pp.54-57より。
  29. ^ a b c 集英社刊「Bart」1995年3月13日号『今は、勝てる勝負しかしていない』pp.36-41より。
  30. ^ 小室哲哉 & 中谷彰宏 1998, p. 173
  31. ^ 神山典士 1997, p. 188
  32. ^ 小室哲哉 2009, p. 53
  33. ^ a b 小室哲哉、CD売上約1億7000万枚”. 日刊スポーツ. 2008年11月4日閲覧。
  34. ^ 小室哲哉 & 中谷彰宏 1998, p. 43
  35. ^ 毎日新聞社刊 『サンデー毎日』 2014年4月6日号「〔住吉美紀の熱烈対談〕すみきちのぶっちゃけ堂/107(最終回) 音楽家・小室哲哉」pp.74-78より。
  36. ^ 日経BP刊『日経エンタテインメント!』2000年3月号「コーディネート型プロデューサーが活躍」pp.88-89より。
  37. ^ 麻生香太郎 1997, p. 52
  38. ^ 近田春夫 2001, p. 349-350
  39. ^ 小室哲哉 & 中谷彰宏 1998, p. 7
  40. ^ 麻生香太郎 1997, p. 47-48
  41. ^ a b c 講談社刊『月刊現代』1997年7月号『年収20億を越す"天才"はマードックとも手を組んで『T・K(小室哲哉)』はなぜ巨大産業に化けたのか』pp.232-246より。
  42. ^ 講談社刊『Views』1996年8月号「“小室哲哉利権” 500億円に食らいついた音楽ビジネスの『巨人』」pp.28-35より。
  43. ^ a b 日経BP刊『日経エンタテインメント!』1998年1月号「小室哲哉インタビュー 4年連続ナンバー1プロデューサー 米国移住の真相を語る」pp.52-55より。
  44. ^ 1995年10月23日放送日本テレビスーパーテレビ情報最前線』「噂の天才!仕掛け人小室哲哉の秘密公開」より。
  45. ^ a b 読売新聞社刊「月刊KiTAN」1995年10月号pp.7-23「いま!プロデューサー 徹底分析 小室哲哉の秘密」より。
  46. ^ 麻生香太郎 1997, p. 62-63
  47. ^ a b c d 小室哲哉天国から地獄、最近は金策に走る”. 日刊スポーツ. 2008年11月4日閲覧。
  48. ^ 小室哲哉 & 中谷彰宏 1998, p. 162-165
  49. ^ 日本経済新聞1997年1月10日号 より。
  50. ^ 小室哲哉 2009, p. 119
  51. ^ 日経BP刊『日経エンタテインメント!』2000年6月号「小室哲哉通信 第29回『国連活動で世界一周中ローマではヒデに会う』」p.124より。
  52. ^ フジテレビ系列2009年12月20日放送『芸能界の告白』より。
  53. ^ テレビ朝日系列スーパーモーニング」2008年11月5日分インタビューより。
  54. ^ https://newspicks.com/news/2942512/body/
  55. ^ https://goetheweb.jp/person/article/20210627-matsuura_36
  56. ^ 日経BP刊「日経エンタテインメント!」1998年10月号「小室哲哉通信 第9回『V5に乗り出した真意は?GLAY、ラルクの見え方』」pp.136-137より。
  57. ^ 新潮社刊「ROLa」2013年11月号「『90年代と僕』小室哲哉インタビュー」pp.48-56より。
  58. ^ a b 小室哲哉、ライバルはつんく♂ 引退がよぎったのは宇多田ヒカル より。
  59. ^ マガジンハウス刊『GINZA』2017年4月号pp.110-113「岡村靖幸 presents 音楽のはなし with 小室哲哉」より。
  60. ^ 講談社刊「ヒットの崩壊」柴那典著より。
  61. ^ 日経BP刊『日経エンタテインメント!』2000年6月号「小室哲哉通信 第29回『国連活動で世界一周中ローマではヒデに会う』」pp.192-193より。
  62. ^ テレビ東京系列みゅーじん/音遊人』 2007年12月23日放送分でコメント。
  63. ^ 扶桑社刊 「SPA!」 2003年4月22日号「'90年代をリードしたヒットメーカーに心理的変化が!?」p.6より。
  64. ^ 日経BP刊「日経ビジネス」2001年2月12日号「丸山茂雄 自ら課した『巨人軍4番』の成績残せず辞任」pp.51-52より。
  65. ^ https://web.archive.org/web/20210711032454/https://www.excite.co.jp/news/article/Myjitsu_099338/
  66. ^ Hole-in-One 小室哲哉・小室ファミリー リンク集
  67. ^ 小学館刊「週刊ポスト」1995年4月28日号「小室哲哉(36)『日本のダンス音楽』を創るミリオンセラー請負人」pp.229-231より。
  68. ^ 集英社刊「Bart」1996年11月25日号「小室哲哉 デジタル環境がもたらす、5年後の『音楽』革命。」pp.12-19より。
  69. ^ 「Tetsuya komuro★LA直撃!独占ロング・インタビュー '97年は本格的に世界へアプローチしていく!」スコラ刊「all about avex」pp.6-8より。
  70. ^ リットーミュージック刊『キーボード・マガジン』2002年7月号pp.17-18より。
  71. ^ 近田春夫 2001, p. 352
  72. ^ 扶桑社刊「SPA!」2003年4月22日号「'90年代をリードしたヒットメーカーに心理的変化が!?」p.6より。
  73. ^ 集英社刊『週刊プレイボーイ』2007年7月16日号「鈴木おさむ×小室哲哉(後編)」pp.80-81より。
  74. ^ 小室哲哉 2009, p. 70-72
  75. ^ 小室哲哉 2009, p. 33
  76. ^ a b シンコーミュージック・エンタテイメント刊『B-PASS』2015年12月号pp.166-171より。
  77. ^ テレビ朝日系列『オーラの泉2008年5月3日放送分でコメント。
  78. ^ 小室哲哉 2009, p. 132
  79. ^ 小室哲哉 2009, p. 121-122
  80. ^ 扶桑社刊「SPA!」2010年8月3日号「『エッジな人々』 小室哲哉 『ドン底を経験したからって、開き直っちゃったら上れない』」pp.134-137より。
  81. ^ “小室哲哉氏(音楽プロデューサー)SPECIAL INTERVIEW 昔と違うヒット創出のロジック「作り手や歌い手の“想い”や“ワード”が重要視されている」”. ORICON BiZ online. (2010年12月24日). https://web.archive.org/web/20101231235146/http://biz-m.oricon.co.jp/feature/data/185.shtml 2020年12月23日閲覧。 
  82. ^ a b フリースタイル刊『フリースタイル」 Vol.15「小室哲哉×小西康陽『ただのミュージシャン』」』pp.6-25より。
  83. ^ マガジンハウス刊「an・an」2012年3月14日号「WHO'S HOT? この人に注目!第117回 小室哲哉『やってきた仕事をようやく肯定してもらえた気がした』」pp.70-71より。
  84. ^ リットーミュージック刊『サウンド&レコーディング・マガジン』2011年10月号「中田ヤスタカ(capsule) × 小室哲哉 シンセ・ポップでヒットを量産する“ネ申クリエイター”頂上対談!!」pp.19-26より。
  85. ^ a b 集英社刊「MEN'S NON-NO」2012年8月号「あの人に会いたい Vol.8 小室哲哉」pp.138-139より。
  86. ^ a b 日本音楽制作者連盟刊『音楽主義』[Vol.52 https://web.archive.org/web/20120919110406/http://nexus-web.net/ongakusyugi/052.html]より。
  87. ^ インターナショナル・ラグジュアリー・メディア刊『ローリング・ストーン』日本版2015年9月号『TK makes the future』pp.27-49より。
  88. ^ 小室哲哉がSNSをフル活用中「ファン予想の裏をかく」「サプライズも必要」、KEIKOの復帰は…”. 産経ニュース (2015年5月24日). 2015年5月24日閲覧。
  89. ^ a b “1億人の平成史 『第17回 小室哲哉さんの「平成のpop music:渦中からの証言」(2)』”. 毎日新聞. (2018年1月8日). https://www.mainichi.co.jp/heisei-history/interview/17.html 2018年1月8日閲覧。 
  90. ^ ダイヤモンド社刊『FM STATION』1990年2月19日号「THIS WEEK'S OPENING ACT FS SUPER JOINT TALK SESSION 浅香唯 meet 木根尚登 from TM NETWORK」p.17より。
  91. ^ a b オリコン・エンタテインメント刊「オリコン・ウィーク The Ichiban」1996年1月1・8日合併号「'96年も目が離せない!! 時代の仕掛人 小室哲哉の入門講座」pp.26-28より。
  92. ^ a b 日経BP刊『日経エンタテインメント!』1999年10月号「小室哲哉通信 第21回『TM NETWORK プロジェクト終了宣言から5年。再始動に隠されたホントの狙い』」pp.26-29より。
  93. ^ 麻生香太郎 1997, p. 42
  94. ^ 麻生香太郎 1997, p. 54-55
  95. ^ 麻生香太郎 1997, p. 58
  96. ^ 小学館刊『女性セブン』1996年8月22・29日合併号pp.57-63「時代を丸ごとプロデュースする男」, p.119より。
  97. ^ 麻生香太郎 1997, p. 58-60
  98. ^ 麻生香太郎 1997, p. 246-247
  99. ^ 朝日新聞社刊「週刊朝日」1995年12月15日号「浜ちゃん『紅白』出場の仕掛け人 100億円プロデューサー小室哲哉の秘密」pp.32-33,「麻生香太郎のカラオケ革命講座 コムロ・ミュージックが独り勝ちのワケ」p.148より。
  100. ^ 株式会社スコラ刊「スコラ」1996年2月8日号「小室哲哉の懐刀、久保こーじの全貌。」p.119より。
  101. ^ 徳間書店刊「月刊エンタメ」2018年4月号「俺たちのTK ~小室哲哉~伝説」pp.36-39より。
  102. ^ プレジデント社刊「プレジデント」1995年5月号「『ミリオンセラー請負人』小室哲哉という男」pp.98-103より。
  103. ^ 朝日新聞出版刊『AERA』1998年12月14日号「現代の肖像 小室哲哉 世界を走る『音楽界の元就』」pp.62-66より。
  104. ^ 日経BP社刊『DAISUKE的にOK!?』浅倉大介著pp.6-7, pp.193-194より。
  105. ^ リットーミュージック刊『サウンド&レコーディング・マガジン』2017年6月号より。
  106. ^ シンコーミュージック・エンタテイメント刊『B-PASS ALL AREA』Vol.6 「浅倉大介 PANDORA Be The One」pp.58-73より。
  107. ^ TKが日向大介氏のラジオ番組にゲスト出演!より。
  108. ^ “【米グラミー賞】(後編)「日本の音楽はセクシーじゃない。沢尻エリカのように踊り狂え」ノミネート作曲家”. Yahoo!ニュース. (2020年1月27日). https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/d55627b5db315a36cf6f60ddf237f6a9666766ab 2020年1月29日閲覧。 
  109. ^ ソニー・マガジンズ刊「PATi PATi」1992年2月号「V2+TMN」p.17より。
  110. ^ ぴあ」1995年3月28日号「trf Interview」p.270より。
  111. ^ ソニー・マガジンズ刊「WHAT's IN?」1995年4月号「All About trf」p.70より。
  112. ^ クレタパブリッシング刊「昭和50年男」September Vol.006「J-POP meets Dance─オーバーナイトどころではないセンセーションを起こした エイベックス」pp.68-69より。
  113. ^ 講談社刊『月刊現代』1997年7月号『年収20億を越す"天才"はマードックとも手を組んで『T・K(小室哲哉)』はなぜ巨大産業に化けたのか』pp.232-246より。
  114. ^ @nisi_p (2020年7月20日). "nisi-p (part2style)さんはTwitterを使っています". X(旧Twitter)より2020年7月22日閲覧
  115. ^ TM NETWORKWORLD HERITAGE DOUBLE-DECADE COMPLETE BOX』ブックレットより。
  116. ^ a b ソニー・マガジンズ刊『WHAT's IN?』2008年5月号pp.48-53「小室哲哉 駆ける者、拓く道、ミュージック・フロンティアが語るJ-POP20年史」より。
  117. ^ TKMC NON EDIT TALK : 小室哲哉★坂本龍一”. フジテレビ. 2019年11月13日閲覧。
  118. ^ 『Album outernet / Single garden By TK』より。
  119. ^ ダイヤモンド社刊『FM STATION』1996年7月5日号「MAKING of ‘KOMURO’ 特集 小室サウンドの『正体』」pp.20-29「小室哲哉の“右腕” 久保こーじが送り出す新人 天方直実」pp.30-31より。
  120. ^ 講談社刊『週刊現代』1996年7⽉27⽇号「ドラッグ疑惑の次は盗作疑惑 天才オペテン師か ⼩室哲哉の『決定的恥部』総点検」pp.172-175より。
  121. ^ 読売新聞社刊「週刊読売」1997年1⽉26⽇号「⼩室サウンドってみんな同じじゃないか」pp.146-147より。
  122. ^ a b 講談社刊『Views』1996年9月号「槇原敬之 ボクの小室サウンド批判」pp.73-79「メガヒット!『安室300万枚はこうして作られた』」pp.144-151より。
  123. ^ 読売新聞東京本社刊『週刊読売』1996年8月18日・25日合併号p.168より。
  124. ^ a b 講談社刊「Views」1996年12月号「ポストTK 『プロデューサーの時代』を作る天才たち」pp.58-65より。
  125. ^ a b c ロッキング・オン刊「Cut」1997年1月号pp.112-113「CUT COLUMNS 年末振り返り特別企画:山下達郎 vs ホイチョイ・プロダクションズ 山下達郎は『小室哲哉』を、ホイチョイは『ロンバケ』を、果たしてどう捉えるのか?」より。
  126. ^ マガジンハウス刊「an・an」2000年4月21日号「“JUDY AND MARY”“GLAY”をプロデュースする佐久間正英さんにインタビュー。ミュージシャンの成功の鍵を握る、プロデューサーの実力」pp.40-41より。
  127. ^ 日経BP刊『日経エンタテインメント!』2007年5月号「R&Bブームが生まれた背景は?」p.107より。
  128. ^ 北辰堂出版刊 『贋作・盗作音楽夜話』 玉木宏樹著より。
  129. ^ リットーミュージック刊『キーボード・マガジン』2011年SPRING No.372 pp.14-29より。
  130. ^ 新潮社刊「ROLa」2013年11月号「『90年代と僕』小室哲哉インタビュー」pp.48-56より。
  131. ^ 亀田誠治が“四つ打ち”曲が増えた理由を解説 「TKサウンドが若いバンドに影響を与えた」』より。
  132. ^ “小室転調”誕生のきっかけは渡辺美里「My Revolution」? 亀田誠治とGLAYがインパクトの重要性を語る』より。
  133. ^ NHK教育テレビジョン亀田音楽専門学校』2016年1月14日放送分より。
  134. ^ ポニーキャニオン音楽出版刊「ヒット曲は発明だ!」羽島亨著pp.167-173より。
  135. ^ a b 扶桑社刊「SPA!」1996年4月3日号pp.36-45「200万枚を軽く売る"ヒット曲製造マシン"の高等戦術を大分析!ニッポン人がハマッた小室哲哉ブランドのカラクリ」より。
  136. ^ マガジンハウス刊『POPEYE』1997年2月25日号pp.120-121より。
  137. ^ ダイヤモンド社刊『FM STATION』1997年8月5日号「華原朋美 ワタシ変わります!」pp.35-38,「松ちゃんトモコの今週のミュージックシーン ヒット曲はこうして作られる! 第1回テーマ 上半期のシングル/アルバムチャートを振り返って」p.100より。
  138. ^ 花伝社刊「オルタナティブロックの社会学」南田勝也著p.161より。
  139. ^ “ミッツ・マングローブ「不倫欝と小室哲哉の想い出」”. AERA.dot. (2018年2月7日). https://dot.asahi.com/articles/-/113761 2018年2月7日閲覧。 
  140. ^ 角川書店刊「CDでーた」1997年12月5日号「1987-1997 J-POP mini BOOK [女性ボーカリスト編]」p.95より。
  141. ^ “小室哲哉、平成J-POPの立役者 『引退』は回すべき皿がなくなったのか”. J-CAST. (2018年1月30日). https://www.j-cast.com/trend/2018/01/30319853.html 2018年1月30日閲覧。 
  142. ^ “変わらないのは“歌の力” 田家秀樹氏”. 西日本新聞. (2019年4月14日). https://www.nishinippon.co.jp/item/n/502548/ 2020年5月21日閲覧。 
  143. ^ “小室哲哉のBOXセット 「平成の女性群像」を見るような”. J-CAST. (2019年4月16日). https://www.j-cast.com/trend/2019/04/16355395.html?p=all 2019年4月17日閲覧。 
  144. ^ 光文社刊「CLASSY.」1998年8月号「BOOKs CLSSY. 自作を語る」p.200より。
  145. ^ 文藝春秋刊「考えるヒット」近田春夫著pp.304-312より。
  146. ^ 近田春夫 2001, p. 26
  147. ^ 文藝春秋刊「週刊文春」1996年5月16日号「小室哲哉 究極の『ツギハギ・パクリ音楽』」p.186より。
  148. ^ a b 新潮社刊『週刊新潮』1996年7月4日号「一週間で六十億円売上げ 新人歌手『華原朋美』の黒い成上り」pp.54-55より。
  149. ^ INFAS publications刊「STUDIO VOICE」1996年9月号「『小室哲哉』という名の空虚なマジョリティ “豊かさを楽しむ勇気”は、そこにあるのか?」pp.36-37より。
  150. ^ 朝日新聞出版刊『週刊朝日』1996年10月11日号「小室哲哉がトップを獲れない謎のヒットチャートの『良識』」pp.40-41より。
  151. ^ 読売新聞社刊「週刊読売」1997年1月26日号「小室サウンドってみんな同じじゃないか」pp.146-147より。
  152. ^ 朝日新聞出版刊『週刊朝日』1997年8月29日号より。
  153. ^ 「富澤一誠の俺が言う!」から「“声のルックス”の良さが時代をつかむ!」より。
  154. ^ “電撃引退の小室哲哉さん、本当に“賞味期限”切れたのか 90年代、高音カラオケで頂点に”. 産経ニュース. (2018年2月1日). http://www.sankei.com/premium/news/180201/prm1802010008-n1.html 2018年2月1日閲覧。 
  155. ^ 太田出版刊 『SOFT & HARD』 佐々木敦著より
  156. ^ 批評家・佐々木敦が驚いた、CAPSULEの実験的なアプローチ」より。
  157. ^ 講談社刊『ニッポンの音楽』佐々木敦著pp.217-219より。
  158. ^ 日経BP刊「日経エンタテインメント! 80's名作Special」pp.92-93より。
  159. ^ 市川哲史 2014, p. 167,174
  160. ^ 市川哲史 2014, p. 174
  161. ^ 市川哲史 2014, p. 179
  162. ^ アルテスパブリッシング刊 『相倉久人にきく昭和歌謡史』相倉久人松村洋著pp.289-290より。
  163. ^ “『音楽評論家・鹿野淳「小室さんの音楽的な手法、遺伝子は今も残っている」』”. HUFFPOST. (2018年1月21日). http://www.huffingtonpost.jp/abematimes/kanojun_a_23339015/ 2018年1月21日閲覧。 
  164. ^ “浜田雅功をさらに躍進させたなど小室哲哉が残した数々の功績”. @niftyニュース. (2018年2月5日). https://web.archive.org/web/20180206002622/https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12180-649051/ 2018年2月5日閲覧。 
  165. ^ FACT刊「サラバ!平成狂想曲」p.157より。
  166. ^ “「ワーグナー」「中島みゆき」「小室哲哉」「演歌・歌謡曲」 なぜ歌人・小佐野彈さんは分裂した音楽趣味を持ったのか”. 好書好日. (2023年8月8日). https://book.asahi.com/article/14971869 2023年8月8日閲覧。 
  167. ^ リットーミュージック刊 『キーボード・マガジン』 2017年SUMMER号 p.69より。
  168. ^ “小室哲哉の楽曲は「自由と破壊」を感じる?広瀬香美・古市憲寿がその魅力を語る”. 日本テレビ. (2020年7月1日). https://www.ntv.co.jp/konkurabe/articles/25lrv5jb2zdqc47n75.html 2020年7月1日閲覧。 
  169. ^ CMJKオフィシャルブログ 『LOST CONTROL』 『SEVEN DAYS WAR その1』より。
  170. ^ principalcmjkの2012年10月16日20時20分のツイート- X(旧Twitter)
  171. ^ principalcmjkの2014年7月19日1時15分のツイート- X(旧Twitter)
  172. ^ “小室哲哉引退は「日本人クリエイター」にとって何を意味するのか? ☆Taku Takahashiに聞いた”. block.fm. (2018年1月19日). https://block.fm/news/tetsuyakomuro_career 2018年1月19日閲覧。 
  173. ^ 『小室哲哉さん曲、アレンジ | 音楽制作会社ネクスト・デザイン代表コラム』より。
  174. ^ エムオン・エンタテインメント刊『リスアニ!』Vol.1 『八木沼悟志インタビュー 華麗なる電子音の魅力を探る!』 p.108より。
  175. ^ エムオン・エンタテインメント刊『リスアニ!』Vol.4.1 『INTERVIWE fripSide 八木沼悟志』 pp.82-88より。
  176. ^ 日経BP刊『日経エンタテインメント!』2011年10月号「小室哲哉 & J.Y.Park 今なぜ、K-POPがウケるのか? 日韓のトップクリエイターが分析」pp.42-45より。
  177. ^ リットーミュージック刊『サウンド&レコーディング・マガジン』2011年10月号「中田ヤスタカ(capsule) × 小室哲哉 シンセ・ポップでヒットを量産する“ネ申クリエイター”頂上対談!!」pp.19-26より。
  178. ^ ASCII.jp:「カタギでも音楽は出来る」 ニコ動・ペンプロさんの決意 (2/7)」より。
  179. ^ 日本テレビ系列ZIP!』2013年11月8日分のゴールデンボンバーインタビューより。
  180. ^ リットーミュージック刊『サウンド&レコーディング・マガジン』2014年12月号「TM NETWORK 壮大な組曲を含む新作『QUIT30』を、デビュー30周年を迎えた3人が語り尽くす」pp.19-31。
  181. ^ “小室哲哉×tofubeats 対談実現! J-POPとダンス・ミュージックの幸福な関係”. rockinon.com. (2015年2月10日). https://rockinon.com/feat/komurotetsuya_tofubeats_201502/page:1 2015年2月10日閲覧。 
  182. ^ “tofubeatsインタビュー「僕は毎回、最後だと思ってやってる」と語る彼の最新作『POSITIVE』とは?”. T-SITEニュース. (2015年9月11日). https://web.archive.org/web/20150914225309/http://top.tsite.jp/news/j-pop/i/25375613/ 2015年9月11日閲覧。 
  183. ^ tofubeats、小室哲哉は「J-POPの大先輩、というかJ-POPそのもの」コラボ曲の試聴開始より。
  184. ^ 日経BP刊『日経エンタテインメント!』2018年9月号「篠原涼子 好奇心旺盛な若い人たちがブームを作った」p.17,「音楽 90年代をけん引した小室哲哉の影響」p.34より。
  185. ^ “【tofubeatsの棚の端まで】第88回 たまの休み4――PIZZICATO ONEの最新ライブ盤から小西康陽つながりでMELLOW MELLOWへ!”. Mikiki. (2020年8月14日). https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/25886 2020年8月20日閲覧。 
  186. ^ “関ジャニ∞にヒャダインがTKサウンドの魅力を説く 丸山隆平「こういう観点で見たことなかった」”. Real Sound. (2015年10月5日). https://realsound.jp/2015/10/post-4764.html 2015年10月5日閲覧。 
  187. ^ 毎日新聞(大阪版)」2018年9月8日号夕刊p.2「『わたしの90年代』TKサウンド×音楽クリエーター・ヒャダインさん 日本をとりこにした『違和感』」より。
  188. ^ “小室哲哉×BiSH運営(松隈ケンタ&渡辺淳之介)インタビュー”. billboard Japan. (2016年3月8日). http://www.billboard-japan.com/special/detail/1590 2016年3月8日閲覧。 
  189. ^ リットーミュージック刊「Hiroyuki Sawano 澤野弘之」より。





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小室ファミリー」の関連用語

小室ファミリーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小室ファミリーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小室ファミリー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS