にっぽん‐ちょうきしんようぎんこう〔‐チヤウキシンヨウギンカウ〕【日本長期信用銀行】
読み方:にっぽんちょうきしんようぎんこう
長期信用銀行の一。金融債を発行して資金を調達し、企業に設備資金・長期運転資金などの長期資金を貸し付けることを主な業務とした。昭和27年(1952)設立。一時国有化を経て現在は新生銀行。長銀。
にほん‐ちょうきしんようぎんこう〔‐チヤウキシンヨウギンカウ〕【日本長期信用銀行】
読み方:にほんちょうきしんようぎんこう
日本長期信用銀行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 01:04 UTC 版)
株式会社日本長期信用銀行(にっぽんちょうきしんようぎんこう、英: The Long-Term Credit Bank of Japan, Limited LTCB)は、かつて存在した日本の長期信用銀行。長銀(ちょうぎん)の愛称で親しまれた。SBI新生銀行の前身。
注釈
- ^ ちなみに、酒井守は若狭国(福井県)の小浜藩主の家系である。
- ^ 長銀経営破綻後、「この常務会で新計画が了承されなければ、破綻を免れたかもしれない」との声は少なくないという。
- ^ 同社代表高橋治則は松浦藩末裔で濱口元首相の遠縁、すなわち高橋の母は、濱口の娘婿と従兄妹である。その濱口雄幸の次男が第二代長銀頭取の濱口巌根、その濱口巌根に引き上げられたのが、後に「長銀のドン」となる杉浦敏介という関係にあった。
- ^ 長銀が1985年(昭和60年)に「イ・アイ・イ・インターナショナル」と取引開始をした際、同社は従業員100名弱のコンピュータ関連機器販売会社に過ぎなかった。その後、杉浦のバックアップで、イ社向け融資は雪ダルマ式に増加していく。しかしバブル崩壊で経営が悪化、1991年(平成3年)、経営は実質的に長銀管理となる。撤退する他の取引銀行を肩代わりすることで融資額はさらに増加し、長銀はさらに深みに入る事になる。結局、1993年(平成5年)7月、二信組問題が表面化することをきっかけに長銀はイ社から撤退した。
- ^ 前述の不良債権飛ばしは、当時の企業会計において連結決算が重視されていないこともあり、厳密には粉飾決算では無かった。
- ^ 長銀の救済に関して、早急な措置がとられなかったことも、長銀破綻に少なからず影響しているとの声もある。
出典
- 1 日本長期信用銀行とは
- 2 日本長期信用銀行の概要
- 3 出身者
- 4 歴代幹部
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