浜口巌根
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浜口 巌根(はまぐち いわね、1899年〈明治32年〉9月21日 - 1976年〈昭和51年〉11月8日)は、元日本長期信用銀行頭取。東京府出身。濱口雄幸の二男で、濱口雄彦は兄である。勲二等旭日重光章。
妻は水町袈裟六の娘。長女・郁子は楢崎泰昌(参議院議員、北海道開発事務次官、大蔵官僚)に、次女・英子は古沢潤一(日本輸出入銀行総裁、日本銀行理事)の二男に嫁いだ[1]。
概要
東京府立四中、五高を経て1924年(大正13年)3月に東京帝国大学法学部を卒業。1926年(大正15年)5月、日本勧業銀行に入行した。1945年(昭和20年)2月に人事部長、1947年(昭和22年)7月に理事、1950年(昭和25年)5月から1952年(昭和27年)7月まで副頭取を歴任したが、日本勧業銀行の権力闘争に敗れた[2]。
1952年12月の日本長期信用銀行創立にともない、五高同期[3]池田勇人大蔵大臣に抜擢され[2]、同行副頭取に就任した[2]。父・雄幸が池田が大蔵省入省の際の大蔵大臣という関係から、以来、濱口巌根は池田と昵懇であった[2]。濱口とともに長銀へ移ったのが杉浦敏介である[2]。
1957年(昭和32年)11月、長銀2代目頭取に就任した[2]。1966年(昭和41年)5月まで頭取を務め、1969年(昭和44年)2月まで取締役会長を務めた。その後、相談役に退き、1973年(昭和48年)2月まで日本銀行政策委員会政策委員の要職も歴任した。1976年(昭和51年)、兄の濱口雄彦が死去した1か月後に亡くなった。
脚注
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