住専問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 15:17 UTC 版)
「第136回国会」も参照 バブル崩壊により、地価が下落して不動産業者の担保価値の目減りは大きく、土地は売るに売れない状況となり、融資先は元金返済どころか、金利の支払いすら滞る事態となった。融資は固定化、塩漬けとなり、不良債権化していった。 しばらくの間、景気回復による再建が期待されたが、それは希望的観測に過ぎず、1995年6月には連立与党が「プロジェクトチーム」を設置して、政治問題化するに至った(いわゆる「住専国会」)。1995年8月には、大蔵省の住専立ち入り調査が行われ、農林系1社を除く全体で、総資産の半分に達する6.4兆円の損失があることが判明した。そしてその貸し倒れ、損失処理が遅れることにより、金融システムの破綻を避けることが急務となった。 その後は住専問題処理の方向は、この損失の穴埋めをどうするのかと言う点をめぐって、 「母体行責任論」(住専の設立母体行が損失を穴埋めすべき) 「貸し手責任論」(母体行も含めた住専の貸し手が、貸し金に比例して損失を穴埋めすべき) が対立したが、結果的には両者の中間を採る形で最終処理がなされた。 すなわち、1995年12月の閣議決定によれば。 6.4 兆円の損失の穴埋めについては、基本的には「修正母体行主義」によりつつ母体行と一般行並びに農林系金融機関がそれぞれ債権放棄(母体行3.5兆円、一般行1.7兆円)により分担し、農林系金融機関の負担能力(5300億円)を超える 6850億円については公的資金投入を行う。 農林系の協同住宅ローンを除く住専7社は実質的に倒産・消滅させる。 このため、預金保険法を改正し、預金保険機構の子会社として住専処理機構(のち住宅金融債権管理機構と改称)を新設し、住専7社の資産をこれに譲渡させ、その債権回収に当らせる。また、預金保険機構に国が出資して設置する緊急金融安定化基金と日銀・民間金融機関が出資して設置する金融安定化拠出基金とからなる住専勘定を設けて住専処理機構の業務の資金支援に当らせる。 これを内容とした特定住宅金融専門会社の債権債務の処理の促進等に関する特別措置法(住専法)は橋本内閣により1996年の通常国会に提出され審議された。経営破綻した住専の不良債権処理に7000億円の税金を投入されることとなったため多くの批判が巻き起こり審議が紛糾。「住専国会」と呼ばれ、野党新進党の議員が成立を阻止するため委員会室の前でピケを張るほどであったが、最終的に法案は可決成立、1996年には住宅金融債権管理機構が設立された。 なお、破綻した特定住専は清算され、経営者および親会社である金融機関は民事および刑事で、住管機構及びその後身である整理回収機構によって経営責任や融資紹介責任を追及されている。
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