住専とREIT、そして年金
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 09:35 UTC 版)
「投資信託」の記事における「住専とREIT、そして年金」の解説
もはや募集・運用主体においても組み入れ証券においても、日本だけに的を絞って研究することが難しくなった。 バブル景気には株式投信が著しく増加を示し、1989年には58兆円(公社債投信含む)に上った。株式投信は為替差損を避けがたかったので基準価額は低迷し、多くの投資家が損失をこうむった。バブルが崩壊した1991年頃から公社債投信がじわりと増加し始めた。一部のアナリストや学者がサブプライム・ローンを論じたこともあり、投資信託の選択の難しさは評価会社へのニーズにつながった。そこで1996年、藤沢久美によって日本初の投資信託評価会社アイフィス(1999年にスタンダード&プアーズ社に売却)が設立された。少し立ち止まり、増加していた公社債投信の組み入れ証券は何か、一部の日本人がサブプライム・ローンに関心を寄せていたのはなぜか、という問いを立ててみよう。これに大切な示唆を与えてくれるのが1996年6月に破綻した住宅金融専門会社である。ノンバンクとしての資金調達は、自らが保有する不動産担保証券を、外国投資顧問が十年前から参入している信託銀行に信託し、オープンエンド化した信託受益権を機関投資家に販売することによって行っていた。 1997年に系列の証券会社や投信運用会社が銀行の一部スペースを借りて販売窓口となる形(店舗貸し方式)で投資信託の販売が解禁された(金融ビッグバン)。1998年12月から銀行窓口での投資信託販売が解禁された。これを皮切りに、銀行や生命保険・損害保険会社、信用金庫、信用組合、農業協同組合、郵便局などが参入し、販売競争が激化している。やがて、ゼロ金利政策で預貯金ではきわめてわずかの利息収入しか得られないこと、2002年の定期性預金についてのペイオフ解禁、2005年の全面解禁により、大口預金者が毎月分配型投資信託に注目するようになった。2007年、日本郵政公社が民営化にともない機関化された。野村総合研究所のファンドマークによると、2008-9年世界金融危機で日本の投信は海外不動産投資信託の組み入れ額を2兆円から1兆円に下げたが、そのあとは単純増加傾向で2011年に5兆円、2015年に8兆円も組み入れている。 2012年LIBOR不正操作事件においては、投信手数料がLIBORに連動する上場投資信託が存在した。これを特に教訓とすることなく、日銀は国際証券集中保管機関と上場投資信託の普及をねらっている。2012年には多くの厚生年金基金が解散に追い込まれたので、代わりに確定拠出年金が投信の売り込み先となっている。
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