住宅高騰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:06 UTC 版)
1980年代後半のバブル期に、政府は「年収の5倍で住宅を」というスローガンを掲げていた。 地価上昇は、地価の高い都心の戸建て住宅や高級マンションだけでなく、都市近郊にさえ適当な戸建住宅を取得することを困難にした。日本のような戸建主義的な都市構造において、いずれは戸建住宅を取得することが人生の夢・目標の一つであるとされ、それを動機として貯金に励むことも行われていた。しかし過度の地価上昇を見て、これ以上値上がりする前に一刻も早く住宅を取得するべきだと考える人も増え、その行動がさらに地価上昇に拍車をかけた。東京圏のマンション価格はサラリーマンの平均年収の8.9倍に達した。あまりにも住宅が高騰して、平均的な収入では最早購入するのが不可能な域に達すると「二世代ローン」も登場した。本人の資力で支払きれないところを、その子の資力をもって補うものである。 地価・住宅高騰と共に相続税も無視できない額に増えた。サラリーマンのマイホームの夢が遠のく一方で、相続税の負担が急激に重くなっていた。特に、長年のローンを組んで余裕が無い状況で相続が発生すると、支払うべき相続税を用意することができずに困窮することもある。これに対応するため、親類縁者の若者を養子にして一人当たりの相続額を下げて相続税を節約する手法が採られたり、変額保険を利用する節税手法が利用された。しかし、バブル崩壊後は資産運用の計画が狂って窮地に追い込まれ、変額保険では返済のため自殺する契約者まで現れて社会問題となった。 詳細は「バブル崩壊#変額保険」および「変額保険#変額保険を巡るトラブル」を参照 首都圏では地価高騰により賃貸住宅の家賃も高騰し、都心から遠く離れた地域に住居を求め、通勤時間が異常に長くなるという状況も生まれた。こうした地価高騰と住宅問題は当時の日本政府の懸念事項となり、後の地価抑制政策に繋がり信用構造を圧迫することになった。
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