政府の議論(平成)
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女系天皇へ向けた有識者会議の議論 平成16年(2004年)12月27日、政府は皇位継承問題について、皇室典範の改正(女性天皇及び女系天皇を認めること)までを視野に入れて検討するための有識者による懇談会の設置を決める。翌平成17年(2005年)1月26日、小泉純一郎首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」(以下、「有識者会議」)を設置し議論を開始(吉川弘之座長)。会合では、皇位継承原理の案として以下の4案が提示された。 第一子優先 - 男女にかかわらず、直系の長子が皇位を継ぐ。 兄弟姉妹間で男子優先 - 姉と弟では、弟が優先して皇位を継ぐ。 男系(父系)男子優先 - 従来の「皇統に属する男系(父系)の男子」が優先される。 男子優先 - 男系女系(父系母系)に関わらず、男子が優先される。 7月、有識者会議は中間報告を発表し、皇位継承範囲の拡大を提唱するとともに「女性天皇及び女系天皇の容認」案及び男系継承の伝統を守る立場から「旧皇族の皇籍復帰による男系男子継承の維持」の2案を具体案として提示した。有識者議会はあくまで「私的諮問機関」であり法的拘束力は有さなかったが、小泉首相が「その最終報告を尊重する」と表明していたため動向が注目された。 10月、有識者会議は女性天皇および女系天皇(母系天皇)容認の最終指針を打ち出すための調整に入った事が明らかになった。10月25日、有識者会議は全会一致で皇位継承資格を皇族女子と「女系皇族」へ拡大することを決めた。吉川座長は同日の記者会見において「現行の皇室典範で安定的な皇位継承ができるかどうかを議論したが、将来、後継者不足が生じることは明らかだ。憲法で定められた皇位の世襲を守るのが、女子、女系への拡大だ」とその理由を説明した。小泉首相は同日夜の記者会見で、皇室典範改正の方向ですでに準備に着手していると述べた。 11月24日、有識者会議は、象徴天皇制の安定的な維持のため、皇位継承資格を女性や天皇・皇族の女系子孫に拡大することなどを求める最終報告書をまとめ、首相に提出した。同会議では旧宮家の男系男子を皇族の養子とする案について「どの方の養子となるかにより継承順位がかわることになるので、当事者の意思により継承順位が左右されることになる」「どうしても当事者の意思が介在してしまい、一義性に欠けることになる」など皇位継承の安定性の観点から否定的な意見が強く、また、男系の血統の保持についても「男系男子だけによる継承が行き詰るということは、はっきりしている」などの消極的意見が大勢を占めた。この報告書の背景には「女性天皇・女系天皇を容認して、皇位継承者の範囲を拡大すべき」とする考えがある。 この年の11月30日、男性皇族で最年少の文仁親王が40歳になり、30代以下の男性皇族が不在になった。 平成18年(2006年)の通常国会において、有識者会議での議論を基に、女系天皇への道を開くことになる皇室典範の改正が議論される予定であった。しかし、同年2月、文仁親王妃紀子の第3子懐妊が発表され、皇位継承問題についての議論は先送りされる。 同年9月6日、秋篠宮妃紀子が第1男子(1男2女のうち第3子)の悠仁親王を出産。これにより、皇位継承問題についての大前提が変わることとなった。同時期、小泉純一郎首相は自由民主党総裁の任期満了とともに退任し、後任の安倍晋三首相は「静かに慎重に論議していくことが大切だ」と述べ、有識者会議の報告書を基にした女系天皇の議論は白紙撤回された。 その後の主な出来事 平成24年(2012年)、野田内閣(野田佳彦首相)は女性宮家の制度についての検討を行った。これは、皇族の減少により皇室の活動(公務など)に支障が発生するのを回避するため、一般人と結婚した女性皇族が皇籍を離脱せず、皇族の立場で引き続き公務を行えるようにするものである。この議論は、野田内閣が年内に内閣総辞職したため、本格的な議論にはならなかった。 平成31年(2019年)3月20日、参議院財政金融委員会質疑において大塚耕平(国民民主党)が皇位継承問題について政府の方針を質したところ、安倍晋三首相は「男系継承が古来例外なく維持されてきたことの重みを踏まえながら、慎重かつ丁寧に検討する」という旨の答弁をした。また、東久邇家の男系男子の有無の確認を質問された野村善史宮内庁長官官房審議官は「子孫につきましては、具体的に承知していない」と答弁した。 令和元年(2019年)5月1日、前日4月30日の天皇の退位等に関する皇室典範特例法施行により明仁(第125代天皇)は譲位して上皇となり、皇太子徳仁親王が皇位を継承して(第126代天皇:今上天皇)となり、その弟の秋篠宮文仁親王が皇位継承順位第1位(皇嗣)となった。翌令和2年(2020年)11月8日、文仁親王は立皇嗣の礼により正式に皇嗣(皇太子に準ずる)となった。
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政府の議論(令和)
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令和2年(2020年)に執り行われた立皇嗣の礼の後、政府は安定的な皇位継承策を巡り、有識者会議を設置する方向で検討に入った。だが加藤勝信官房長官は令和2年(2020年)12月14日の記者会見で、安定的な皇位継承策の議論の在り方に関し「静かな環境で検討が行われるよう配慮する必要がある」と強調し、急がない構えを強調し、令和3年(2021年)3月23日に、首相官邸において、安定的な皇位継承の在り方を検討する有識者会議の初会合が開かれた。 令和3年(2021年)3月23日、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議の初会合が開催された。メンバーは大橋真由美上智大学法学部教授、清家篤日本私立学校振興・共済事業団理事長、冨田哲郎東日本旅客鉄道取締役会長、女優で作家の中江有里、細谷雄一慶應義塾大学法学部教授、宮崎緑千葉商科大学国際教養学部教授の6人で、同日の互選により清家が座長に選任された。政府高官によるとメンバーの選定にあたっては「皇室制度に強い主張を持つ人は避けた」とされた。
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