政府の辞職
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 18:24 UTC 版)
シリアによる占領状態に対しての日々の抗議に参加する人々の数は、25000人を数えた。1990年代も反シリアのデモ行進がもっぱら、キリスト教徒の手によって行われていたが、今回のデモ行進は、明らかに宗派間の壁を越えて行われた。このことは、独立以前から宗派間の対立が絶えることがなかったレバノンにおいては、稀有なことだといってもよい。 2月28日、親シリア派のウマル・カラーミー首相は、総選挙を実施する旨を宣言した上で、内閣総辞職した。「私は、政府が、国を良くしようと考えている人々の障害にならないものと考えている」という声明を残した。ベイルートのMartys広場に集まった人々は、声高に、「カラーミーは陥落した。バッシャール、次はお前の番だ」とシュプレヒコールをあげた。 だが、カラーミーの辞職だけでは人々は満足することはなく、さらにシリア軍の完全撤退を要求した。2004年10月1日の自動車爆弾テロで生き残ったMarwan Hamdehは、「私は、政府の刺激、怠惰、欠点を告発する」と述べた。 3月23日、レバノン国内の暗殺の調査を担当しているミシェル・アブー・アッラジュは、法廷スケジュールがタイトであることを引用しながらも、辞任を求められた。レバノンの司法省は、アッラジュの要求を速やかに答えるように求められた。アッラジュの辞任は、調査の遅れを結果としてもたらした。
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