政府の閣議決定と沖縄県内の反発
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「730 (交通)」の記事における「政府の閣議決定と沖縄県内の反発」の解説
この事業は、国の計画では当初は1976年に実施する予定であったが、オイルショックなどによって状況が変わり、さらに沖縄国際海洋博覧会の開催延期などで1978年実施へと変更されたものである。 この変更は、県民全員の生活と生命に直結するものであるだけに、県民の関心は非常に高かった。しかし、政府からは具体的な日時は発表されたものの実施要項が示されなかった。このことに県民の不満が高まり、それに押されるように1977年9月8日、沖縄県議会は臨時議会を開き、「沖縄県の交通方向変更に関する意見書」を採択した。これは政府に対して早急な実施要項の公表を求めるものであった。県もこれに歩調を合わせ、国に対する要請を行った。 しかしながら国はこのような地元の強い要求を無視するように、1977年9月16日、政府は交通政令を閣議決定し、1978年7月30日をもって沖縄県の交通方法を本土と共通のものに変更することを正式に決めた。県民はこれを国による「見切り発車」と見て、不満と不安の声は高まった。 こうして交通方法変更に伴う道路の改良工事や道路標識の設置などハード面や交通安全教育などのソフト面の事業が平行して開始された。それらはいずれも大変な難事業だった。政府が県や地元自治体、県警、教育庁関係者らに対してようやく交通変更対策要綱を示したのは1978年3月7日のことだった。これを受けて県交通方法変更対策会議が開かれたが、そこでは市町村道の角切りや無認可保育所の通園バスへの補償など、様々な問題点が取り上げられて不満が続出、県議会でもこのような問題で大いにもめ、国に対して特別事業の実施明記、諸問題を受け付ける窓口設置、自治体負担費用の国庫負担、交通方法変更に伴うつぶれ地の100 %補償などを政府に対して要請することとなった。政府からは「地元要求については前向きに検討」との言葉を得た。 しかし3月17日に閣議決定された交通方法変更対策要綱では、特別事業に対しては「要請を踏まえ検討」とあった他は具体的に提起された問題点のほとんどを積み残したままにしてあったのであり、県民を満足させるものではなかった。 実際の切り替えは上記のように様々な問題はあったものの、特に大きな事故はなく、ひとまずは無事に終了した。だが車の流れが変わり、バス停の位置が変わったことで影響を受け、営業に支障をきたした店や企業も多く出た。また、この交通変更に対する県内の総投資額は約400億円だが、建設業や自動車業界などに「730特需」があった以外は、県の経済体質の弱さのためもあって、その大半は本土に逆流した。
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