皇孫時代とは? わかりやすく解説

皇孫時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:09 UTC 版)

徳仁」の記事における「皇孫時代」の解説

1960年昭和35年2月23日16時15分、皇太子明仁親王と同妃美智子いずれも当時)の第一男子(2男1女のうち第1子)として、東京都千代田区千代田皇居宮内庁病院にて誕生する身長47センチメートル体重2,540グラム旧皇族旧華族階級でない、いわゆる平民家庭出身母親であった皇太子妃美智子意向に沿い、懐妊に際して母子手帳発行され皇居宮殿内御産殿での出産をせず一般家庭同様に病院で行うなど、それまで皇室慣例によらない戦後初の内廷皇族親王皇孫皇太子長男としてほぼ確実に将来において天皇即位することが確定している男性皇族誕生は、広く国民注目された。同年2月29日命名の儀において祖父帝の昭和天皇が「浩宮 徳仁(ひろのみや なるひと)」と命名した。「浩宮」の称号四書五経のうちの『中庸』第32章にある「浩々たる天」、「徳仁」の名は同じく聡明聖知にして天徳達する者」を典拠とする。 「 肫肫たる其の仁、淵淵たる其の淵、浩浩たる其の天。苟くも固に聡明聖知にして天徳達する者ならざれば、其れ孰か能くこれを知らん。 」 —『中庸』第32それまでの傳育官制度を事実上廃止し両親である皇太子同妃による育児子育ても、国民関心の的となった中でも生後7か月徳仁親王から離れて皇太子同妃が14日間公務訪米の際に、皇太子妃美智子世話係書き置いた育児メモナルちゃん憲法」は、子供預けて勤労する一般家庭母親たち育児指針としても共感呼んだ1964年昭和39年4月13日学習院幼稚園入園する。同年11月1日には着袴の儀を行う。両親である皇太子同妃は、専任養育係を置かず子育て行った。ただし、東宮侍従濱尾実が、徳仁親王1歳3か月の時から初等科5年生まで専任養育係に準ずる存在として養育および教育貢献している。徳仁親王濱尾を「オーちゃん」と呼び濱尾家の子ども達とも親しく遊んでいた。両親の下で、弟・礼宮文仁親王、妹・紀宮清子内親王とともに育つ徳仁親王様子は、報道通じてしばしば公表され一般国民感覚近寄った戦後幸福な家庭像を描くとともに新し皇室像の形成にも大きく寄与した1966年昭和41年4月8日学習院初等科入学するこの頃から稲田悦子参与指導フィギュアスケート始める(大学生時にスピードスケート転向)。学習院高等科時代は、正規授業のほか、「『将来天皇としての素養を身につけさせる」という目的の下で、東宮御所におけるご進講の形で「歴代天皇御事跡」や『古事記』『日本書紀』といった皇室史に関わる日本神話『万葉集』『平家物語』など日本の古典文学から比較神話学文化史文化人類学時事問題などを幅広く学習した。「帝王学」の一環考えられる学習院大学では音楽部所属しヴィオラ担当した在学中1980年昭和55年2月23日、満20歳成年式執り行った1982年昭和57年3月学習院大学文学部史学科を卒業した文学士)。その後同大学大学院人文科学研究科博士前期課程進学それまで多く皇族が、生物学中心とした自然科学専攻したに対して徳仁親王史学中世の交通史・流通史という人文科学・社会科学に近い分野専攻した1983年昭和58年)から1985年昭和60年)にかけて、英国オックスフォード大学マートン・カレッジ留学してテムズ川水運史について研究1988年昭和63年)には、学習院大学大学院人文科学研究科博士前期課程修了した文学修士)。この間1987年昭和62年10月3日から10月10日には昭和天皇病気療養と父・皇太子明仁親王外国訪問重なり初め国事行為臨時代行就いた昭和時代の末より、徳仁親王伴侶たる親王妃候補について様々な憶測報道されるようになり、1986年昭和61年10月18日来日中のスペイン王エレナ・デ・ボルボン・イ・デ・グレシア歓迎パーティー親臨した際、外務省勤務する女性国家公務員であった小和田雅子知り合う

※この「皇孫時代」の解説は、「徳仁」の解説の一部です。
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