神武以来の天才とは? わかりやすく解説

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神武以来の天才

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:13 UTC 版)

加藤一二三」の記事における「神武以来の天才」の解説

1954年8月1日付で四段昇段し当時史上最年少棋士14歳7か月)・史上初の中学生棋士となった加藤最年少棋士記録は、2016年に14歳2か月四段昇段した藤井聡太更新するまで、62年にわたり維持された。なお、加藤によれば自身プロ入りした時の反響はさほどではなかったという。 8月1日であったが、順位戦については同年6月から始まっていた第9期順位戦途中よりC級2組参加した同期四段佐藤庄平市川伸も同様)この年C級2組はかなり変則的であり、途中より東組東京)と西組大阪)で組分けされ、加藤は7名の西組属して12回戦を戦った(よってリーグ内の同一人物と2回ずつ戦った)。11月2日畝美与吉六段戦最年少勝利を挙げるなど、11勝1敗の好成績C級1組昇級決め1955年4月1日付で15歳3か月による最年少五段昇段果たした続けてC級1組10勝3敗、B級2組を9勝2敗、B級1組10勝2敗でいずれも1期抜けし、1958年4月1日付で18歳3か月でのA級八段となる偉業成し遂げた。「神武以来じんむこのかた)の天才」と呼ばれ朝日新聞の「天声人語」でも取り上げられるなど、大きな反響があった。当時昇段規定順位戦のみだったこともあり、これは順位戦の各昇級と各昇段いずれも当時最年少記録次々と塗り替えていく結果意味していた。 順位戦以外のタイトル棋戦や、一般棋戦での活躍顕著であり、1955年11月22日には当時始まった新人棋戦である第1回六、五、四段戦優勝し15歳10か月最年少棋戦優勝記録樹立したまた、1956年度には16歳王将戦リーグ入りし、1957年1月24日には高松宮争奪選手権戦で優勝して新人棋戦を除く公式棋戦最年少優勝記録17歳0か月樹立したこうした最年少記録は、先述した62年後の2016年四段となった藤井聡太登場するまで脅かされることすらなく、四段昇段14歳2か月)、初勝利14歳5か月)、一般棋戦優勝15歳6か月)、全棋士参加棋戦優勝15歳6か月)と藤井更新されてしまったものもあるが、王将戦リーグ入りや、参加時期ズレによる順位戦の各記録破られていない(ただし、当時とは昇段規定異なるため六段、七段、八段昇段藤井更新されている)。 A級初年度となった第13期順位戦は4勝5敗の負け越しで8位という成績であったが、2年目の第14期1960年度)は6勝2敗で名人挑戦得た20歳3か月挑戦は、他棋戦タイトル初挑戦含め当時最年少記録であり、2020年現在においても名人挑戦最年少記録維持している。名人挑戦獲得する少し前の1960年2月1日には、朝日新聞朝刊新聞漫画『サザエさん』で、活躍する若者代表として力士大鵬幸喜加藤より1学年下と共にしょうぎ加藤八段」として言及された。しかし、第19期名人戦七番勝負は1勝4敗で大山康晴名人敗れた

※この「神武以来の天才」の解説は、「加藤一二三」の解説の一部です。
「神武以来の天才」を含む「加藤一二三」の記事については、「加藤一二三」の概要を参照ください。

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