神武天皇の妻問い説話とは? わかりやすく解説

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神武天皇の妻問い説話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 04:56 UTC 版)

ヒメタタライスズヒメ」の記事における「神武天皇の妻問い説話」の解説

神武天皇即位先立ち初代天皇相応し正妃迎えることになった。このとき、ヒムカ国からイワレヒコ神武天皇)に付き従ってきた家臣である大久米命が、后候補として推挙したのがイスケヨリヒメヒメタタライスズヒメ)だった。『古事記』では、大久米命イスケヨリヒメ出生逸話について神武天皇説明し、「神の御子」であるイスケヨリヒメこそ正后に値する説く『古事記』には、7人の女性が狭井川岸辺にいるところを神武天皇大久米命目撃し、その中から后を選んだという逸話掲載されている。この際神武天皇大久米命イスケヨリヒメとのあいだで歌を交わすやりとりは、神武天皇の「妻問い説話」としてよく知られている。 夜麻登能(やまとの) 多加佐士怒袁(たかさじぬを) 那那由久(ななゆく) 袁登賣母(をとめども) 多禮志摩加牟(たれをしまかむ) 倭の高佐士野(たかさじぬ)を七行く媛女ども誰をしまかむ (大意大和国の川の畔の高台をゆく7人の乙女のうち誰を妻とするか 「高佐士野」は、狭井川沿いの台地指している。狭井川三輪山を源とする小川で、大神神社境内ちかくを流れる。大和川初瀬川)に合流する手前では天井川となって川岸高くなっている。 加都賀都母(かつがつも) 伊夜佐岐陀弖流(いやさきだてる) 延袁斯麻加牟(えをしまかむ) かつがつも いや先立てる 兄をしまかむ (大意先頭をいく年長者イスケヨリヒメ)にしよう この神武天皇意を受けて、大久米命イスケヨリヒメ会いに行く。するとイスケヨリヒメは、見慣れない風貌大久米命驚きこう答える。 阿米都都(あめつつ) 知理麻斯登登(ちどりましとと) 那佐祁流斗米(などさけるとめ) 天地 千鳥真鵐 など黥ける利目大意あなたはなぜ、いろいろな鳥のようにのまわり入れ墨をして、鋭い目つきをしているのですか。 これに対し大久米命次のように返す。 袁登賣爾(をとめに) 多陀爾阿波牟登(ただにあはむと) 和加佐祁流斗米(わがさけるとめ) 媛女に 直に逢わんと 我が黥ける利目大意)あなたのことを直接よくみるために、鋭い目つきをしているのです。 このあとイスケヨリヒメ嫁入り承諾する神武天皇は「佐韋河(狭井川の上」にあるイスケヨリヒメの家に行って一泊する。このときの様子次のように詠まれている。 阿斯波良能あしはらの) 志祁志岐袁夜邇(しねしきをやに) 須賀多多美(すかたたみ) 伊夜佐夜斯岐弖(いやさやしきて) 和賀布多理泥斯(わかふたりねし) 葦原穢し小屋菅畳 いや清敷き我が二人寝し大意河原草むらにあるむさ苦しい小屋スゲの畳をきれいに敷いて二人で寝た この部分には、狭井川地名の由来に関する注釈がある。この辺りには「山由里」(ヤマユリ実際にササユリのこと)が多くヤマユリ異称を「佐韋」というので、この川を「佐韋河(狭井川)」と呼ぶとある。現代の狭井川右岸には「神武天皇聖蹟狭井河顕彰碑」が設置されている。

※この「神武天皇の妻問い説話」の解説は、「ヒメタタライスズヒメ」の解説の一部です。
「神武天皇の妻問い説話」を含む「ヒメタタライスズヒメ」の記事については、「ヒメタタライスズヒメ」の概要を参照ください。

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