客観写生
客観写生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:06 UTC 版)
この言葉自体は高浜虚子のものであるが、その起源は芭蕉の句までたどることのできる俳句の特徴の1つである。芭蕉の門人・土芳は『三冊子』の中でこれを「見るにつけ、聞くにつけ、作者の感じるままを句に作るところは、すなわち俳諧の誠である」と表現している。江戸時代には客観や写生という言葉こそないが俳諧の誠というのは私意や虚偽を排し、対象をよく観察し、傾聴して、そのありさまを十七文字で表現することに全力を傾けるという意味である。 例としては 吹き飛ばす石は 浅間の野分かな芭蕉 が挙げられる。ここには浅間山に登る芭蕉の感想などは、一切述べられていない。しかし、浅間山に吹く野分の凄さを「石まで吹き飛ばす」と表現することで読者は、荒涼とした風景とともに、こういう表現を選ぶ芭蕉という人物の面白さをもかえって十分に感じることができるのである。
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