作家評
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「ウィリアム・メイクピース・サッカレー」の記事における「作家評」の解説
同時期に並び称されたディケンズが、処女作から常に中・下層の庶民、ことに貧民の側に立って、市井の人情味にあふれる作品を書いたのに対して、中の上といった階級の出身で教育にも恵まれていたサッカレーは自ずと、自分の属する階級の人間性、ことにその腐敗や俗物根性(スノビズム)を痛烈に暴露することに優れていた。 もっとも、腐敗や拝金主義、成功欲を批判しても、その先にあるべき有益な人生の価値観が提示できたか、という意味では、20世紀のモームと同様の批判にさらされることもある。なお、ディケンズとサッカレーは友人同士であったが、サッカレーを酷評した批評家をディケンズが支持したことから、サッカレーが亡くなる前年まで仲たがいしていた。
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作家評
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高野はデビュー当時からセンスの良さ・画面構成の巧みさが注目され漫画評論の対象となった。初期には、作品の整然としたコマ割りを大島弓子の不安定なコマ割りと対置し、高野を矢代まさこや岡田史子らに通じる「様式」の作家と論じた荒俣宏の評などがある。またアングルの自在さ、遠近感の効果的な使用、トーンワークのうまさといったことから「物事を見たままに描ける作家」「最も視覚的なマンガ家」とも評されている。『黄色い本』を論じた斎藤環は「あるときには見下ろされ、あるときには見上げられる」ような、自在に入れ替わる作中の視点を「神の視点」ならぬ「蚊の視点(蚊瞰)」と言い表した。 2000年に『BSマンガ夜話』で『るきさん』が取り上げられた際には、高野の各作品に通低する「生と死」へのまなざしが論じられた。いしかわじゅんは高野の作品を「生と死を常に客観的に見て」いるとし、日常を描いた近年の作品にも「目の前にある日常の話を描いているんだけど(中略)その向こうにはやっぱり死がある」と述べている。夏目房之介は「死のほうから生を見ている」と表現しており、これらは高野がデビュー前後に看護師として働き、患者の生死と日常的に向かい合っていたことの影響があるのではないかとしている。また夏目は1985年以降の高野の作品について「それまでのドラマティックな画面の作り方に『不安』が入ってくる」と作風の変化を指摘した。 竹熊健太郎はつげ義春、大友克洋とともに高野を「音楽界で言うところの『ミュージュシャンズ・ミュージシャン』にあたるマンガ家」と評し、「高野文子の存在なくして後続の岡崎京子や桜沢エリカ、内田春菊、一條裕子といった女性作家が、今のような形で存在することもなかっただろう」と述べている。 2003年にスタジオジブリを退社したアニメーター安藤雅司は高野のファンで、『千と千尋の神隠し』の作画監督を務めた際、高野の絵のように少ない線で人間のリアルなラインを描く表現を作品に取り入れる試みを行った。安藤は、リアルな表現を志向し、宮崎駿とは方向性で対立することもあり、フリーで活動することとなった。
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作家評
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モームの作品は平明な文体と巧妙な筋書きを本分としている。モームは面白い作品こそが自らの文学であるといい、ゆえに通俗作家と評されてきた。モームは小説の真髄は物語性にあると確信し、ストーリーテリングの妙をもって面白い作品を書き続けたが、作品の中にはシニカルな人間観がある。 幼少時に母を亡くしており、この母への思慕は相当なもので、『人間の絆』の冒頭部で描かれている。またモームは吃音に苦しみ、ますます孤独感を強めていった。こういった境遇の後に、医学生時代に暮らした貧民街に住む人々と交わったことは、モームに人間の奥底をのぞかせた。最初に日本に紹介し、来日したモームとも面談した中野好夫は、その作品について「通俗というラッキョウの皮をむいていくと、最後にはなにもなくなるのではなく、人間存在の不可解性、矛盾の塊という人間本質の問題にぶつかる」と評している。その姿勢は、『人間の絆』において「ペルシャ絨毯の哲学」として提出される、人生は無意味で無目的という人生観に現れている。人生を客観的に描いてきたモームは、『要約すると』では「自分は批評家たちから、20代では冷酷(brutal)、30代では軽薄(flippant)、40代では冷笑的(cynical)、50代では達者(competent)と言われ、現在60代では浅薄(superficial)と評されている」と書いている。 モームの文体は非常に平明であるが、その文体はヴォルテールやスコットに学んだものである。彼の作品(特に Summing up )は、戦後日本の英語教育で入試問題、テキストとして広く用いられた。
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作家評
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紅葉の作品は、その華麗な文章によって世に迎えられ、欧化主義に批判的な潮流から、井原西鶴を思わせる風俗描写の巧みさによって評価された。しかし一方では、北村透谷のように、「伽羅枕」に見られる古い女性観を批判する批評家もあった。国木田独歩は、その前半期は「洋装せる元禄文学」であったと述べた。山田美妙の言文一致体が「です・ます」調であることに対抗して、「である」の文体を試みたこともあったが、それは彼の作品の中では主流にはならなかった。ただし、後年の傑作『多情多恨』では、言文一致体による内面描写が成功している。 紅葉は英語力に優れ、イギリスの百科事典『ブリタニカ』を内田魯庵の丸善が売り出した時に、最初に売れた3部のうちの一つは紅葉が買ったものだったという(ブリタニカが品切れだったのでセンチュリー大字典にした、とも。死期が近かった紅葉にとっては入荷待ちの時間が惜しかったようで、センチュリーの購入は紙幣で即決しており、内田魯庵はそれを評して「自分の死期の迫っているのを十分知りながら余り豊かでない財嚢から高価な辞典を買ふを少しも惜しまなかった紅葉の最後の逸事は、死の瞬間まで知識の要求を決して忘れなかった紅葉の器の大なるを証する事が出来る。(中略)著述家としての尊い心持を最後の息を引取るまでも忘れなかった紅葉の逸事として後世に伝うるを値いしておる。」と評している)。その英語力で、英米の大衆小説を大量に読み、それを翻案して自作の骨子として取り入れた作品も多い。晩年の作『金色夜叉』の粉本として、バーサ・クレイの『女より弱きもの』が堀啓子によって指摘された。
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作家評
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子規の没後、五七五調に囚われない新傾向俳句を唱えた碧梧桐に対して、虚子は1913年(大正2年)の俳壇復帰の理由として、俳句は伝統的な五七五調で詠まれるべきであると唱えた。また、季語を重んじ平明で余韻があるべきだとし、客観写生を旨とすることを主張し、「守旧派」として碧梧桐と激しく対立した。そしてまた、1927年(昭和2年)、俳句こそは「花鳥諷詠」「客観写生」の詩であるという理念を掲げた。 しかしまた反面、碧梧桐が亡くなった翌年の1937年(昭和12年)には、かつての親友であり激論を交わしたライバルの死を悼む句「たとふれば独楽のはぢける如くなり」を詠んでいる。 俳壇に復帰したのち、虚子つまり『ホトトギス』は大きく勢力を伸ばし、大正、昭和期(特に戦前)は、俳壇即『ホトトギス』であったといえる。虚子は俳壇に君臨する存在であった。 『ホトトギス』からは飯田蛇笏、水原秋桜子、山口誓子、中村草田男、川端茅舎、松本たかしなどを輩出している。
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作家評
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仁木悦子はもともと児童文学から推理小説を書き始めた作家である。そのため作風は明るく、しばしば「日本のクリスティー」と呼ばれた。 その代表的な作品が、仁木雄太郎・悦子兄妹を主人公とした作品である。この二人は学生で、舞台も平凡な日常において発生するため、一般に親しみやすいシリーズ作品となった。江戸川乱歩賞受賞作の『猫は知っていた』に初登場。同作はベストセラーとなり、推理小説ブームの一翼を担った。作者と同じ名前の仁木悦子は、のちの作品で結婚し、浅田悦子と姓が変わっている。後期の短編では悦子が主婦探偵として活躍し、雄太郎はほとんど登場しない。 一方で仁木悦子は、クリスティーよりもハードボイルドを好んでおり、私立探偵・三影潤というキャラクターを生み出している。『冷えきった街』はその三影が登場する唯一の長編である。
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