『るきさん』(1993年)
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「高野文子」の記事における「『るきさん』(1993年)」の解説
詳細は「るきさん」を参照 1988年、マガジンハウスの首都圏情報誌『Hanako』にて『るきさん』の連載を開始(『Hanako』の巻末漫画の編集担当は夫の秋山協一郎だった)。当時のバブル経済のさなか、流行にも恋愛にも興味を持たずきままな独身生活をおくる女性「るきさん」を描いたもので、月1回程度のペースで毎回2ページ(オールカラー)、4コママンガの形式(ただし見開き2ページ分16コマで1話。1コマ目はタイトル)で1992年まで連載された。流行雑誌だったこともあり高野の作品の中では広い読者を獲得。高野の最長連載作品であるが、高野自身は「さてなぁ。これは癒し系マンガと言われてましてね。かなりたくさんの人が読んでくれたんですけど、わたし的には、あまり重要視してないんだなあ」とあまり多くを語っていない。高野に著書のカバーイラストを頼んでいる北村薫は、高野が「わたし、るきさん嫌いなんです」と彼に語ったことがあると記している。 『るきさん』は2000年にTV番組『BSマンガ夜話』で取り上げられ、高野のそれまでの作品と合わせて論じられた。ゲスト出演者のわかぎえふは、連載当時『るきさん』は『Hanako』の掲載作品としてはかなり違和感があった(浮いていた)と語っている。 『るきさん』終了後の高野の『Hanako』掲載作として『東京コロボックル』(1993年、全7話。後述『棒がいっぽん』収録)がある。また後に『Hanako』に連載された魚喃キリコ『ハルチン』(1998年刊行)は明らかに『るきさん』をリスペクトした作品であった。文庫化の早かった作品である。
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