『棒がいっぽん』(1995年)
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「高野文子」の記事における「『棒がいっぽん』(1995年)」の解説
詳細は「棒がいっぽん」を参照 1995年、5冊目の単行本『棒がいっぽん』を刊行。『るきさん』連載前後の短編作品6作を収録したもので、作品集としては『おともだち』以来12年ぶりのものとなる。巻頭に収められている「美しい町」は1960年代の工業地帯を舞台に若い夫婦の静かな生活を描いた作品。続く「病気になったトモコさん」は、入院中の少女が1日のうちに見たものや連想を一貫してその少女の視点から描いている。「バスで4時に」は、バスに乗って婚約者の家に着くまでの、ある女性の心の動きを描く。「私の知ってるあの子のこと」は、「病気になったトモコさん」と同じく子供を題材にしているが、後者が子供の視点に映る事物をクローズアップを多用し様々な構図で描いているのに対し、前者は俯瞰気味の構図を用い、一貫してロングショットだけで作品を構成している。「東京コロボックル」は、人間の家に間借りして都会生活を営む小人たちの生活を描くショートコミックである。 巻末に収められている「奥村さんのお茄子」は、単行本収録の際に扉ページを除く全ページが描き直された作品。68ページと収録作品中最も長く、単行本表題もこの作品にちなんでつけられている。ごく普通の中年男性・奥村さんのもとに「とっても遠くから」来たという不思議な女性がやってきて、25年前のある日の昼食を一緒に検証する、という一風変わったSF仕立ての作品であるが、高野自身は「それもSFじゃないんでしょうねえ。「奥村さんのお茄子」も「黄色い本」や「美しき町」(いずれも日常を扱った作品 引用者註)とテーマは同じなんですよ。ただ作画の絵柄を変えたという」という風に語っている。この作品は物語の解釈をめぐり誌上・ネット上でさまざまな議論を起こした。夏目房之介は『棒がいっぽん』収録作品の独特の画面構成(大きな遠近の落差)に注目し、「奥村さんのお茄子」ではそれが日常の貴重さを表現するとともに「普通の日常の成りたちがたさ」を表現していると論じている。夏目は『棒がいっぽん』を評し「日常の懐かしさと怖さをここまでラジカルに表現したマンガを、私はほかに知らない」と述べている。 高野の絵柄はこの作品集から次第に簡素になっていく。絵柄について高野は「アシスタントを使わずに最後までできるには、その程度の絵じゃないとだめだというのがあった。手間のかかる絵はとにかくやめようと」考えたと述べている。このころの趣味はゲームで、わたしはダメ嫁や東京コロボックルにはスーパーファミコンをプレイしていた様子が再三描かれていた。
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