方丈の大庇(おおびさし)より春の蝶
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春 |
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評 言 |
素十の代表句のひとつ、同時に客観写生の代表句でもある。 石庭で有名な龍安寺での作といわれている。作者は寺の縁側に座って外出を見ている。大きな寺なので庇も大きい。がっしりとした威圧的な庇から、不意に春の蝶がふわふわと飛び出してきた。一面に白砂を敷きつめた息づまるような石庭、そして重圧な大庇、そんな重圧感に充ちた静寂のなかを、対照的な軽く漂う蝶を配した構図。このアングルとコントラストが、どこかSFの場面を見ているかのような劇的な衝撃力がある。それでいて、句自体は極めてスタティック、古典的な姿を有している。内容はラジカルというか、幻想的なのだが、句としての表現は穏健なのだ。この句が客観写生の優れたモデルのように称賛され評価されるのも、このあたりにあるのだろう。 掲句もそうであるが、素十の句は、「ある、ある、確かにそういう風景を見たことがある。」と想えるような、強烈な既視感に襲われる。提示された幾学的対比構図によって、ありありと風景は浮かんでくる。だが、私個人で言えば、そんな風景は実際に見たことがないのだ。それでは、素十の空想した架空の風景かといえば、そんな感じは全くしない。 それはどういうことかと言えば、素十が描く風景は、すべて言葉によって生まれた風景であり、言葉と対象たる風景とがひとつにぴったりと合体していて隙間がない。だから、写生句のようなスタイルなのに、一読、幻想俳句のような既視感、酪酊感を覚えるのである。 おそらく、素十は、俳句という表現型式の本質、限界ということを、もっとも正確に理解していたのではないか――。「言葉」によって生まれた風景を、それが「写生」であるかのようにして作る、言わば「究極の写生」を実践し得た数少ない俳人といえるだろう。 |
評 者 |
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備 考 |
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