受容史とは? わかりやすく解説

受容理論

(受容史 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/06 04:13 UTC 版)

受容理論(じゅようりろん、英語: reception theory)は、文学作品の受容者である読者役割を積極的に評価しようとする文学理論である。受容美学ともいう。


注釈

  1. ^ コンスタンツ学派と呼ばれる。
  2. ^ 期待の地平線ドイツ語版と呼ばれる。
  3. ^ 詳細は源氏物語#影響・受容史を参照。
  4. ^ 梗概書・抄出本・絵画の有無など。
  5. ^ この点については、校閲の任を引き受けた山田孝雄との関係が指摘されている[20]
  6. ^ 例えば芥川龍之介は、評論「文芸的な、余りに文芸的な」の中において、当時の文学者たちの間で『源氏物語』への関心がほとんど失われていた状況について言及している[21]
  7. ^ 制作した作者・制作された年代・制作の背景など。

出典

  1. ^ ヤウス (2001), p. 35.
  2. ^ ヤウス (2001), pp. 39–41.
  3. ^ Reception History:Definition and Quotations”. 2021年8月31日閲覧。
  4. ^ 石黒圭 (2021), pp. 70–71.
  5. ^ 田中康二 (2015), p. 75(初出:田中康二 2012b
  6. ^ a b 和田敦彦 (2020), p. 252.
  7. ^ 家永三郎 (1967), p. 53.
  8. ^ 塩川哲朗 (2020), p. 245.
  9. ^ 塩川哲朗 (2020), p. 243.
  10. ^ 田中康二 (2012a), p. 212.
  11. ^ 田中康二 (2009), p. 139.
  12. ^ 田中康二 (2009), p. 140.
  13. ^ 田中康二 (2009), pp. 16–17.
  14. ^ a b 「編集後記」『國語と國文學』第96巻第11号、明治書院、2019年11月、160頁。 
  15. ^ 池田亀鑑 (1991), p. 201.
  16. ^ 寺本直彦 (1972), pp. 281–282.
  17. ^ 和田敦彦 (2020), p. 255.
  18. ^ a b c 和田敦彦 (2020), p. 253.
  19. ^ 和田敦彦 (2020), pp. 253–254.
  20. ^ 神島達郎 (2021), pp. 1–17.
  21. ^ 古川順弘 (2023), p. 266.
  22. ^ a b c 和田敦彦 (2020), p. 254.
  23. ^ 和田敦彦 (2020), p. 234.
  24. ^ 佐野幹 (2013), pp. 44–54.
  25. ^ 佐野幹 (2013), pp. 11–12.
  26. ^ a b 皿井舞 (2013), p. 128.
  27. ^ 皿井舞 (2013), p. 129.
  28. ^ 皿井舞 (2013), p. 132.
  29. ^ 川口雅子 (2014), p. 45.
  30. ^ 川口雅子 (2014), p. 46.
  31. ^ 川口雅子 (2014), p. 47.
  32. ^ 川口雅子 (2014), p. 48.


「受容理論」の続きの解説一覧

受容史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 15:07 UTC 版)

アルト・ハイデルベルク」の記事における「受容史」の解説

本作は、20世紀前半において最も数多く上演されドイツ演劇作品一つである。この作品が、ハイデルベルクの町を世界的に有名にし、日本では明治時代においてドイツ語を学ぶ学生にとっては必読になった昭和時代前期になってそうした雰囲気残っていた。 一方ベルトルト・ブレヒトは「駄作」(Saustück) とこき下ろしアルフレート・デーブリーンは「陳腐な作品」(Leierkasten) といい、クルト・トゥホルスキーまでも「古臭く甘ったるい駄作」(alten Schmachtfetzen) と呼んだブレヒトは、第一次世界大戦後には観客にはもうそれがどういうことなのかわからなくなってしまい知らないままに拍手したりしている若い王子宿屋年配の女給の間のエピソードは、あまりにも古臭い身分制度の壁の最たるものだという。しかし、現実の世界そのような対立克服してしまった現実人々の意識が、観客から大い称賛された。 本作は、シグマンド・ロンバーグによるブロードウェイオペレッタ学生王子』(1924年)の原作になった作品中学生組合三色のたすきを肩からかけた学生たちの合唱学生歌により物語の進行説明される。このシーンブロードウェイ男性コーラス好評博した数少ない場面一つでもある。この作品は、今日でもハイデルベルク城恒例祭りの際にはドイツ語演じられ、英語の字幕掲示されている。 『学生王子』は何度映画化もされている。1915年のジョン・エマーソン監督による無声映画1927年エルンスト・ルビッチ監督による同じく無声映画1954年リチャード・ソープ監督によるミュージカル映画がある。 元々の戯曲からも、1959年ドイツでエルネスト・マリシュカ監督クリスティアン・ヴォルフ主演映画化されている。

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受容史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 03:40 UTC 版)

オウィディウス」の記事における「受容史」の解説

オウィディウス作品には、世紀を越えて2000年近く各々時代における社会宗教文学的文脈依拠し立場から多様な解釈なされたオウィディウス存命からすで同時代人に有名であり、批判されていたことが知られている。「恋の治療法」の中で詩人世人にお前の本は失礼だと批判されたことを報告し、これに応えて次のような詩を詠んだ。 Gluttonous Envy, burst: my names well known alreadyit will be more so, if only my feet travel the road they’ve started.But you’re in too much of a hurry: if I live you’ll be more than sorry:many poems, in fact, are forming in my mind. このような批判収まったのち、中世からルネサンス期ヨーロッパ世界において、オウィディウスは最もよく知られ、最も愛されラテン語詩人のひとりとなった中世著述家は性と暴力について読んだ書いたりするための方便としてオウィディウス作品利用したしかしながら、それは「丁寧に注釈をつけるといったような聖書に対して日常的に行ってたような入念なテクストリーディング」を欠くものであった中世フランスでは15巻本の『変身物語』倫理的に翻案した『オヴィド・モラリゼ(フランス語版) 』という7万行に及ぶ大作作られた。作者不明であるが、同時代ジェフリー・チョーサー影響与えたオウィディウスの詩はルネサンス期ユマニスト人文主義者)らの発想原点にもなり、とりわけ多く画家著述家霊感与えたイギリスのアーサー・ゴウルディング(英語版)も同様に15巻本の『変身物語』倫理的に書き直した翻案1567年出版した。この1567年版はテューダー朝時代グラマー・スクールラテン語原典副読本として用いられた。この副読本クリストファー・マーロウウィリアム・シェイクスピアといったルネサンス期有名な作家影響与えたことで知られるその他にオウィディウス大きな影響受けた作家枚挙に暇がない例えば、ミシェル・ド・モンテーニュは『随想録』の中で陰に陽にオウィディウス引用しており、特に「子弟教育」の段では次のようなことを言っている。 The first taste I had for books came to me from my pleasure in the fables of the Metamorphoses of Ovid. For at about seven or eight years of age I would steal away from any other pleasure to read them, inasmuch as this language was my mother tongue, and it was the easiest book I knew and the best suited by its content to my tender age. 16世紀ポルトガルでは、イエズス会修道院オウィディウス『変身物語』からいくつかの場面切り取って生徒たち教えていた。イエズス会士たちはオウィディウスの詩が教育目的にふさわしい上品なのであるみなしたが、作品すべてを生徒たち与えると彼らを堕落させてしまうとも感じていた。イエズス会士たちはオウィディウスについて彼らが知っていること多くポルトガルの植民地にも伝えた。Serafim Leite (1949)によると、17世紀前半ブラジル植民地ではイエズス会教育計画書である『ラティオ・ストゥディオルム(英語版)』が有効であり、この時期ブラジル生徒たちは、ラテン語の文法を習うために『黒海からの手紙』のような作品読んでいたという。 16世紀スペインでは、セルバンテス長編小説ドン・キホーテ』の着想土台『変身物語』用いたオウィディウスは『ドン・キホーテ』の中で持ち上げられたり貶されたりするが、その行く末触れてセルバンテスはこう警告する風刺やりすぎにはご注意あれ、詩人たちを追放憂き目に遭わせますぞ、かのオウィディウスのように、と。 16世紀イギリスでは、オウィディウス作品批判された。カンタベリー大主教ロンドン主教英語版)は1599年オウィディウス恋愛詩の翻訳書を広場焼却することを命じた1599年主教による焚書令(英語版))。詩人生きた時代から遠く離れた時代ピューリタンの目から見たオウィディウスは、ペイガンであり、「倫理悖る詩人であった17世紀に入るとジョン・ドライデン『変身物語』英訳行った。この翻訳英雄二連韻句(ヒロイック・クープレッツ)を使った名訳として知られる17世紀オウィディウス再流行した時代であった。その再流行は「他の誰か変身させてしまうようなアウグスティヌス主義の一側面という、詩人本来のイメージで」なされた19世紀ロマン主義運動におけるオウィディウスその作品需要17世紀におけるものと対照的である。ロマン主義者にとってオウィディウスは「古くさく、退屈で、本物感情欠けた形式偏重主義であったロマン主義者にとってはオウィディウス作品よりも追放という出来事のほうが重要であった。 ボドレール、ゴーティエドガ見たスキタイ人たちのもとに追放されオウィディウス英語版)」は、ウジェーヌ・ドラクロワスキュタイ人の地に追放され詩人晩年描いた油絵である。ボドレールはこの絵を見たことに動機付けられ、オウィディウスのように追放され詩人一生についての長いエセー書いたこのようにオウィディウス追放は、19世紀ロマン主義運動にいくらかの影響与えているが、その理由は、彼の追放が「野性」とか「理解されない天才」とかいったロマン主義のキーコンセプトに結びつくからである。

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受容史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 08:55 UTC 版)

ルシダリウス」の記事における「受容史」の解説

この書物後のバージョンでも改作拡張続けられたが、概して一般知識により重点置かれるようになり、宗教的側面にはあまり重点置かれないようになった1534年頃にシュトラスブルク作成され印刷版は特にプロテスタント向けとなっており、セバスティアン・フランク(英語版)の『世界の書』(Weltbuch, 1534年)からの情報用いている。さらに後の印刷版で、主にフランクフルト作成されたものでは、この例に倣い、より多く図版情報追加されている。その一部最初ファウスト本である『ヨーハン・ファウスト博士物語英語版)』でも使用されている。 『ルシダリウス』およびその基となった『エルキダリウム』は中世間人気があり、『エルキダリウム』はフランス語プロヴァンス語、英語(古英語)、アイスランド語古ノルド語)、ドイツ語オランダ語など多数言語翻訳され、『ルシダリウス』もまたデンマーク語チェコ語オランダ語クロアチア語ロシア語翻訳された。ラテン語版『エルキダリウム』からドイツ語版ルシダリウス』への場合がそうであったように、厳密な翻訳ではなく内容取捨選択されたり増補されたりすることもあった。

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受容史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 16:25 UTC 版)

ディートリヒ・ブクステフーデ」の記事における「受容史」の解説

17世紀伝統根ざしたブクステフーデ音楽は、社会構造大きく変革する18世紀になると急速に忘れ去られていく。ブクステフーデが再び注目されるのは、19世紀バッハ研究の進展においてである。1873年初めバッハ評伝著したフィリップ・シュピッタは、バッハ先達としてのブクステフーデオルガン作品について詳しく論じる。また、1889年には、カール・シュティールがスウェーデンウプサラ大学古文書からグスタフ・デューベンが収集したブクステフーデ声楽曲大量に発見し声楽曲対す関心が高まる。 1960年代と1970年代における古楽演奏復興とともにブクステフーデ作品一般に広く演奏されるうになる今日では、ブクステフーデ代表作である『我らイエス四肢(Membra Jesu nostri)』(BuxWV75)は10種類上の録音なされており、室内楽分野でも、ムジカ・アンティクヮ・ケルンによる先駆的な演奏等を通して注目された。2014年10月にはトン・コープマンアムステルダム・バロック管弦楽団&合唱団によるブクステフーデ全作品録音リリースされた (en:Dieterich BuxtehudeOpera Omnia)。 2007年ブクステフーデ生誕370年かつ没後300年記念する年であり、リューベックでは年間通してブクステフーデ因んだコンサートシンポジウム等が開催され全市挙げて記念年を祝った

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受容史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/14 15:01 UTC 版)

因明」の記事における「受容史」の解説

因明入正理論」も参照 陳那とその弟子著作は、玄奘によって中国伝えられ中国経由して朝鮮日本など東アジアにも伝えられた。中村元によれば奈良時代にはカント哲学二律背反問題に当たるものが論じられていた[要出典]。なお、上記古因明ダルマキールティ因明は、文献漢訳されず、前近代東アジアにはほぼ伝わらなかったが、近代以降は、西洋インド学仏教学方面からの再発見再評価受けて盛んに研究されるようになった因明は、仏教外の学問外道)とされて一段低く見られたが、ダルマキールティ写本ジャイナ教寺院から発見されたりと、インドにおいて論理学普遍的なものとして位置づけられたことを伺わせる[要校閲]。 ことにチベットの仏教では、優秀な仏教論理学者がインドから多数訪れた事もあり、東アジアには伝わらなかった仏教論理学思想史上の本流保存する役割果たしたといえ、よくその伝統を伝えていて、僧侶必須科目となっている。 東アジアにおける因明の受容史は、近現代仏教学では長らくマイナーな研究対象だったが、2010年代から積極的に研究されるようになった詳細は師 2019等を参照

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受容史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/12 01:16 UTC 版)

嘆きの歌」の記事における「受容史」の解説

嘆きの歌』の初演は、1901年2月17日ウィーンにてマーラー本人指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって行われたが、演奏不出来だったらしく、そのため評価今一つであった伝えられる初演最終稿によっており、この最終稿初演より前の1899年ヴィーンヴァインベルガー社より出版された。マーラーはこの青年熱情込めて作曲したカンタータ作品番号1とした。破棄され第1部1934年チェコスロバキアブルノ初演され出版1973年になってからであった初稿マーラー遺族保存していたが、1969年になってアメリカエール大学図書館譲渡された。時あたかもレナード・バーンスタインマーラーの全交響曲演奏取り組みバリトンディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ歌曲演奏で、マーラー作品注目されていた時期であった。このマーラー・ブームのなかで、マーラー音楽原点ともいうべき処女作品への関心高まり当初2部構成最終稿初稿第1部置いた3部作構成演奏されるようになった第2部第3部含めた初稿全体1997年出版され同年10月録音されケント・ナガノ指揮ハレ管弦楽団CDが「初稿版・世界初録音」と銘打って発売された。こうして初稿演奏が、最終稿にとって代わる状況となっていたものの、2011年ザルツブルク音楽祭開会演奏会ピエール・ブーレーズ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって演奏された際は1898/99年の最終稿であった初稿3部日本初演は、1998年5月東京交響楽団によって行われた

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受容史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 02:21 UTC 版)

鶡冠子」の記事における「受容史」の解説

南朝劉勰唐代韓愈は、『鶡冠子』修辞的な文章賞揚した一方で唐代柳宗元は、『鶡冠子』文章酷評したその上で前漢賈誼の賦『鵩賦』との比較通じて『鶡冠子』前漢以降偽書であると断じた。清代姚際恒もまた偽書としている。 唐代杜甫は、晩年の詩『耳聾』で、孤独な隠遁生活を送る自身を、隠者としての鶡冠子なぞらえた北宋陸佃中国語版)(『埤雅』の著者として知られる)は、『鶡冠子』注釈書著した日本では江戸時代後期刈谷藩藩校文礼館」の名前の由来になった

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 04:51 UTC 版)

和泉式部」の記事における「受容史」の解説

和泉式部は、あらかじめ決められ歌題について和歌詠む12世紀初頭題詠成立以前歌人であった和泉式部活躍した10世紀後半から11世紀前半は、源融旧宅であった河原院という場に、和泉式部実家である大江氏始めとして、清原氏平氏などという中下貴族集う和歌サロン形成されていた。このような和歌サロンの中で、後の題詠へと繋がっていく文芸性を重んじる和歌形作られていく。曽根好忠河原院和歌サロン代表的な歌人であるが、身分が低い曽根上級貴族歌会参加することが難しく勅撰和歌集撰者となることもなかった。その一方でそのような公共性強く制約の多い立場から自由に歌を詠むことに繋がった和泉式部このような和歌サロン流れ受けて和歌詠むようになっていった。 和泉式部同時代紫式部から、優れた歌人として評価を受けつつも、多く男性浮名流した好色な女性という風評踏まえ人の道外しているところがあると批判されている。高名な紫式部による和泉式部評は、後世和泉式部好色な女性像広めることに繋がった。この好色なイメージ平安時代後期になるとより強化された。 中世前期から室町時代にかけて、仏教的な説話和泉式部像に強く反映されるうになる中世説話では和泉式部遊女であると捉えられているものがあり、そのような中で、法華経教え踏まえながら、仏教的な救済求め女性として和泉式部描かれるうになる近世に入ると、与謝野晶子が「情熱的な歌人として和泉式部高く評価しその評価定着していったとの説がある。しかし実際には、藤岡作太郎が、与謝野晶子和泉式部に関する著作発表する以前情熱的な歌人として評価しており、また、与謝野晶子による評価情熱全面押し立てるようなものではなく和泉式部作品には、多情であるばかりではなく純情愛欲とともに哀愁、そして奔放ありながら寂寥という相反し感情詠み込まれていることを指摘したものであったしかしながら与謝野晶子自身が「情熱的歌人」として捉えられるのと期を同じくするように、和泉式部情熱結び付けられていく。そして情熱は「愛欲」、「爛熟した性」、「刹那的な詩人」などといった和泉式部像の形成繋がってしまった。この和泉式部、そして与謝野晶子と「情熱」との結び付きは、両者人物像把握大きな影響与え続けている。 もちろんそのような和泉式部、そして与謝野晶子と「情熱」や「愛欲」、そして「性」との安易な結びつけには批判があり、求道者として、そして近代的な自我的なものに依る解釈見られる。しかしそのような和泉式部受容また、近現代からの眼を安易に古典敷衍するのであるとの批判がある。

※この「受容史」の解説は、「和泉式部」の解説の一部です。
「受容史」を含む「和泉式部」の記事については、「和泉式部」の概要を参照ください。

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