活動経過
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1950年(昭和25年)8月1日に有楽町のセントポールにて開催された第1回の打合せ会において、岸田国士により「文学立体化運動」が提唱され、岸田に共鳴する内村直也、加藤道夫、木下順二、小林秀雄、神西清、千田是也、菅原卓、中村光夫、三島由紀夫、福田恆存などが発起人・実行委員となった。事務所は台東区谷中初音町の岸田邸となり、その後、9月4日に実行委員会が開かれた。 第1回の会員の会合は、同年9月16日に三越劇場で開かれ、井伏鱒二、岸田国士、小林秀雄、永井竜男、中村光夫、三島由紀夫、三好達治ら、20人あまりの会員が集まり、俳優座講演『令嬢ジュリー』『白鳥姫』(ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ原作、青山杉作演出)を観劇しての合評会となった。この翻訳劇には、実行委員の千田是也がジュアンの役で出演した。 第2回の会合は、10月の実験劇場の『ヘッダ・ガブレル』(ヘンリック・イプセン原作)となった。この10月と11月には、各雑誌で「雲の会」同人による座談会も開かれ、加藤道夫・武田泰淳・三島由紀夫・福田恆存による「新しき文学への道――文学の立体化」(文藝 10月号)、大岡昇平・中村光夫・三島由紀夫、福田恆存による「小説の秘密」(文學界 10月号)、岸田国士・木下順二・小林秀雄・中村光夫・三島由紀夫・福田恆存による「文学と演劇」(展望 11月号)などが掲載された。 12月には、三島由紀夫が書いた近代能楽『邯鄲』が、芥川比呂志の演出、團伊玖磨の音楽で文学座アトリエ公演された。これは芥川比呂志にとっての最初の日本の創作戯曲の演出となった。キャストやスタッフは無料で参加し、この『邯鄲』と併演の福田恆存の『堅塁奪取』は矢代静一が演出した。 この芥川比呂志と三島由紀夫の共演を機に、2人の対談「演劇と文学」が1951年(昭和26年)12月に実施され(雑誌掲載は翌年2月)、海外や日本の芝居、小説について語りながら、戯曲の文体などについて意見交換した。 対談「演劇と文学」の前の同年6月には、「雲の会」発行の雑誌『演劇』が創刊され、8月には、大岡昇平・神西清・中村光夫・三島由紀夫・福田恆存の座談会「劇壇に直言す――二重座談会」と、その他の出席者による座談会「『直言』に答う」が掲載された。 劇団内部の活動では、文学座においては前年の1949年(昭和24年)4月から設けられていた「演劇研究所」での芥川比呂志や加藤道夫の講義による俳優養成など、新劇の発展のための教育が行われた。 詩や戯曲を、小説よりも優位に置いていた岸田国士は、自身が銓衡委員をしていた芥川賞に、戯曲作品を加えることを提案していたが退けられてしまった。 そして「雲の会」は、1953年(昭和28年)12月の加藤道夫の縊死自殺や、翌1954年(昭和29年)3月の岸田国士の急逝により、自然消滅を迎える。
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活動経過
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「北沢川文化遺産保存の会」の記事における「活動経過」の解説
2004年(平成16年)12月17日、世田谷区代田の信濃屋会議室で「北沢川文化遺産保存の会」の発起人会を行った。 2006年(平成18年)5月世田谷区の助成を受け、冊子「『北沢川文学の小路』物語」を発行した。 2007年(平成19年)3月20日 - 世田谷区の助成を受け、冊子「下北沢X惜別物語」を2007年3月20日に発行した。小田急線地下化によって下北沢地域の踏切や駅がなくなってしまうことを受け、地域近代史として、ここで起こった様々なエピソードを住民から聴き取り、これを記録した。 12月3日 - 世田谷区立代沢小学校校地の一角に『坂口安吾文学碑』を建立した。安吾は代沢小の代用教員を務めていた。その時の経験を元に書いた小説が『風と光と二十の私』である。碑にはこの一節、「人間の尊さは自分を苦しめることにある」を刻んだ。この文学碑には大田区にあった坂口安吾旧居の門柱が使われている。なお、門柱は新潟日報社所有のものであったが、会の要望に応えて無償で譲り受けている。文学碑建立に当たっては、「安吾文学碑建立記念記録集」を2008年3月20日に発行した。 2012年(平成24年)10月6日北沢川緑道に「代田の丘の61号鉄塔由来碑」を建立した。これには朔太郎の詩『定本青猫』の次の一節が刻まれている。 都会の空に映る電線の青白いスパークを。大きな青猫のイメーヂに見てゐる。 —萩原朔太郎 「代田の丘の61号鉄塔」は、当地に住まった萩原朔太郎、萩原葉子の居住痕跡を記すものとして「世田谷区地域風景資産」に選定されたものだ。建立に当たっては信濃屋の協賛を得た。 2013年(平成25年)11月23日、横光利一旧居「雨過山房」近くの北沢川緑道に「橫光利一文学顕彰碑」を建立した。このモニュメントには小説『微笑』に出てくる石畳(鉄平石)二枚が用いられている。これに響く靴音で訪客の用向きが分かったと作品には記されている。石は橫光家から寄贈されたものである。 2014年(平成26年)11月29日、三好達治旧居近くの北沢川緑道鎌倉橋に「三好達治文学顕彰碑」を建立した。碑文には当地で編まれた詩集『百たびののち』の一篇「閑窓一盞」を刻む。 2019年(平成31年)12月7日、北沢タウンホール集会室で「北沢川文化遺産保存の会15周年記念祝賀会」開催した。 2020年(令和2年)世田谷代田駅 駅前広場開場記念事業実行委員会に委員として加わる。 2021年(令和3年)3月28日、世田谷代田駅前広場(ダイダラボッチ広場)開場この祝賀行事に合わせて『巨人伝説読本 代田のダイダラボッチ』を発行(B5版56頁)編集は北沢川文化遺産保存の会、執筆はきむらけん、発行は世田谷代田駅駅前広場記念事業実行委員会(委員長:斎田 孝)
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