西岡善信とは? わかりやすく解説

西岡善信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/20 10:19 UTC 版)

にしおか よしのぶ
西岡 善信
生年月日 (1922-07-08) 1922年7月8日
没年月日 (2019-10-11) 2019年10月11日(97歳没)
出生地 日本奈良県[1]
死没地 日本京都府京都市[1]
職業 美術監督映画プロデューサー
受賞
毎日映画コンクール
美術賞
1963年越前竹人形』『雪之丞変化
藤本賞 特別賞
1999年梟の城』『御法度
紫綬褒章
1992年
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西岡 善信(にしおか よしのぶ、1922年7月8日 - 2019年10月11日[1])は、日本の美術監督映画プロデューサー

来歴

奈良県明日香村出身。法政大学文学部在学中に徴兵され、朝鮮半島で終戦を迎えた。1947年までソ連に抑留され、帰国後の1948年大映京都撮影所に入社。美術部に配属された。

1952年、『天保水滸伝 利根の火祭』(安達伸生監督)で初めて美術監督を務め、以降大映が製作した約180本の映画で美術監督を務めた。1952年に市川崑の監督映画『あの手この手』で美術監督を務めたのをきっかけに、大映京都製作の市川監督作品の全てで美術監督を務めた。

大映倒産の後1972年、旧大映社員とともに「映像京都」を設立し、代表取締役社長を務める傍ら、美術監督、プロデューサーとして活躍。1989年に松竹京都映画常務取締役、1994年にはKYOTO映画塾塾長に就任。2002年に第20回川喜多賞を受賞[2]

2010年8月31日をもって、自身の高齢を理由に「映像京都」を解散した[3]

1992年紫綬褒章、1997年勲四等旭日小綬章、1999年京都府文化賞、2001年伊・文化賞(エンリオ・フライアーノ賞)、2004年京都市文化功労賞。

2019年10月11日午後7時22分、老衰のため京都市内の病院で死去。97歳没[1][4]

主な作品

出演

脚注

  1. ^ a b c d 西岡善信さん死去 「地獄門」など映画美術第一人者」『日刊スポーツ』(日刊スポーツ新聞社)2019年10月12日。オリジナルの2019年10月12日時点におけるアーカイブ。2019年10月12日閲覧。
  2. ^ 第20回川喜多賞 西岡善信氏”. 公益財団法人川喜多記念映画文化財団. 2021年7月13日閲覧。
  3. ^ 時代劇の技守り38年、職人集団「映像京都」解散」『京都新聞』2010年8月31日。オリジナルの2010年9月2日時点におけるアーカイブ。2023年7月29日閲覧。
  4. ^ “映画美術監督の西岡善信さん死去 「地獄門」「利休」”. 朝日新聞. (2019年10月12日). https://www.asahi.com/articles/ASMBC7VLZMBCPTFC00P.html 2019年10月12日閲覧。 

参考文献

  • 室岡まさる(インタビュー・構成) 編『市川雷蔵とその時代』徳間書店、1993年。ISBN 4195552370 

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