その後の仁義なき戦い
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「その後の仁義なき戦い」(そのごのじんぎなきたたかい)は、1979年5月26日に公開された日本映画。東映京都撮影所製作、東映配給[1]。監督は工藤栄一。主演は根津甚八。音楽は柳ジョージ&レイニーウッド。
- ^ その後の仁義なき戦い | 東映ビデオ株式会社
- ^ “その後の仁義なき戦い”. 日本映画製作者連盟. 2020年4月23日閲覧。
- ^ 菅原文太代表作 Blu-ray特集 | 東映ビデオ株式会社、その後の仁義なき戦い
- ^ a b c d e f g h i j 映画界のドン 2012, pp. 96、131–132.
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- ^ a b c “映画 配役新鮮な青春映画『その後の仁義なき戦い』(東映)”. 毎日新聞夕刊 (毎日新聞社): p. 7. (1979年6月2日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 神波史男・白坂依志夫「対談『黄金の犬』『その後の仁義なき戦い』をめぐって 『愛と復讐の散華』」『シナリオ』1979年6月号、日本シナリオ作家協会、89–90頁。
- ^ a b c d e “任侠映画『その後の仁義なき戦い』この一戦にかける東映”. 毎日新聞夕刊 (毎日新聞社): p. 7. (1979年5月22日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 光と影 2002, pp. 170–171.
- ^ 松田修「マセラッティ(馬)とダンプ(豚) 『【その後の】仁義なき戦い』論」『シナリオ』1979年6月号、日本シナリオ作家協会、134–138頁。
- ^ a b c d 「ショー・パック 甦る幻の映画『仁義なき戦い』 『「沈滞の闇を打ち破るか一発の閃光! 映像の刺客・工藤栄一、只今参上!』」『週刊朝日』1979年4月24日号、朝日新聞社、40頁。
- ^ a b c d e f 「シネマ 『映画監督業は魅力』 根津甚八、工藤栄一作品に燃ゆ」『週刊明星』1979年5月13日号、集英社、46頁。
- ^ a b 高平哲郎『話は映画ではじまった PART1 男編 対談・宇崎竜童』晶文社、1984年、88,103-104頁。
- ^ a b c d e f “連載 芸能生活40年 宇崎竜童 『運がよければ』(38) 『仁義なき戦い』で出会った根津甚八とは抜群にウマが合った”. 東京スポーツ (東京スポーツ新聞社): p. 16. (2011年12月13日)“連載 芸能生活40年 宇崎竜童 『運がよければ』(39) 忘れられない根津甚八とのストリップ肉食ナイト”. 東京スポーツ (東京スポーツ新聞社): p. 16. (2011年12月14日)
- ^ 『仁義なき戦い』|泉谷しげるオフィシャルブログ「泉谷しげる・春夏秋冬」2012年03月10日(Internet Archive)、思い出バナシ|泉谷しげるオフィシャルブログ「泉谷しげる・春夏秋冬」2012年9月23日
- ^ a b c d e f g ぼうふら脚本家 2012, pp. 345–346.
- ^ a b c d e f 「ニュース・メーカーズ ご指名をうけた根津甚八は果報者! ? 原田美枝子"女上位セックス"の凄まじさ」『週刊ポスト』1979年5月4日号、小学館、41頁。
- ^ a b c d e 俺たちゃとことん 1981, pp. 168-170、207.
- ^ 土橋亨『嗚呼!活動屋群像 ―化石になんかなりたくない―』開発社、2005年、105頁。ISBN 4-7591-0115-2。
- ^ 小林信彦「邦画はインベーダー・ゲームを超えられるか?」『コラムは踊る―エンタテインメント評判記 1977~81』筑摩書房、1989年、198-200頁。ISBN 9784636885194。
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