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岡崎宏三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/28 03:41 UTC 版)

岡崎 宏三
おかざき こうぞう
生年月日 (1919-01-12) 1919年1月12日
没年月日 (2005-01-13) 2005年1月13日(86歳没)
出生地 日本東京府(現・東京都
死没地 日本東京都目黒区
職業 撮影技師撮影監督
活動期間 1935年 - 2003年
主な作品
駅前シリーズ
受賞
日本アカデミー賞
第15回日本アカデミー賞優秀撮影賞
(『戦争と青春』、1992年)
その他の賞
第16回ブルーリボン賞撮影賞
(『六條ゆきやま紬』、1966年)
第24回毎日映画コンクール撮影賞
(『御用金』、1969年)
第26回毎日映画コンクール撮影賞
(『いのちぼうにふろう』、1971年)
第29回毎日映画コンクール撮影賞
(『華麗なる一族』『ねむの木の詩』、1974年)
第30回毎日映画コンクール撮影賞
(『吾輩は猫である』『化石』、1975年)
第20回山路ふみ子映画賞功労賞(1996年)
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岡崎 宏三おかざき こうぞう1919年(大正8年)1月12日 - 2005年(平成17年)1月13日)は、日本撮影技師撮影監督

来歴

東京府(現・東京都)出身。1935年(昭和10年)、新興キネマ大泉撮影所(現・東映東京撮影所)に入社し、青島順一郎に師事[1]。撮影助手を勤めた後、1940年(昭和15年)に伊奈精一監督の『愛の記念日』で撮影監督となる[1]

1953年(昭和28年)、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の『アナタハン』の撮影にカメラオペレーターとして起用され、決定的な影響を受ける[1]。その後、多くの名監督の様々な作品を手掛けたほか、『ザ・ヤクザ』など海外の映画作品も多く撮影した。

日本アカデミー賞優秀撮影賞1回、毎日映画コンクール撮影賞を4回受賞した。1996年(平成8年)、第20回山路ふみ子映画賞功労賞を受賞した。

2005年(平成17年)1月13日、食道噴門癌のため死去、86歳[2][3]

主な作品

撮影助手時代
  • 雌雄 (1936年)
  • 聖処女 (1936年)
  • 青葉の夢 (1936年)
  • 新月抄 (1936年)
  • 牡丹くづるゝ時 (1937年)
  • 合歓の木 (1937年)
  • 小国民 (1938年)
  • あゝ故郷 (1938年)
  • 海棠の歌 (1939年)
撮影監督時代

脚注

  1. ^ a b c 岡崎宏三キャメラマン人生
  2. ^ 東宝 編『東宝75年のあゆみ 1932 - 2007 資料編』(PDF)(東宝、2010年4月) p. 264
  3. ^ 岡崎宏三 - 略歴・フィルモグラフィー”. キネマ旬報社. 2022年11月21日閲覧。
  4. ^ 別冊映画秘宝編集部 編「根岸明美」『<保存版>別冊映画秘宝 東宝特撮女優大全集』洋泉社、2014年9月24日、38頁。

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