私は貝になりたいとは? わかりやすく解説

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私は貝になりたい

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/14 09:59 UTC 版)

私は貝になりたい』(わたしはかいになりたい)は、ラジオ東京テレビ(KRT→TBS)の「サンヨーテレビ劇場」で1958年10月31日22時 - 23時40分に放送された日本テレビドラマ。元陸軍中尉・加藤哲太郎の獄中手記「狂える戦犯死刑囚」の遺書部分をもとに創作された橋本忍脚本によるフィクションで、第二次世界大戦中に上官の命令で捕虜を刺殺した理髪店主が戦後B級戦犯として逮捕され処刑されるまでを描く。岡本愛彦演出、フランキー堺主演。第13回文部省芸術祭芸術祭賞[注 1](放送部門)受賞作[注 2]


注釈

  1. ^ 2015年現在の大賞。
  2. ^ 岡本と橋本の2人は、翌1959年に同枠で放送された「いろはにほへと」でも同賞を受賞しており、2年連続で芸術祭賞を受賞することとなった。
  3. ^ 現在は経営統合してパナソニックホールディングス
  4. ^ a b ファーネスは元米陸軍人で、実際に極東国際軍事裁判重光葵の弁護人になった経験を持つ。
  5. ^ 川崎隆章著「まぼろしの大阪テレビ - 1000日の空中博覧会 - 」によると、大阪テレビ放送が録画し、同局の東京支社で保管していたVTRを使用して再放送されたという。
  6. ^ 2014年8月の終戦記念日前後には、2008年版とあわせて放送された。
  7. ^ 当初は志村郁夫名義で発表したもの。2012年現在は加藤の文集『私は貝になりたい』に収録され再刊、春秋社ISBN 4-393-44161-3
  8. ^ この裁判で加藤は自分の文章のほかにも、山口水青・竹谷しげる著「壁厚き部屋」(理論社、復刻版は鷺草発行所)や、巣鴨遺書編纂会編「世紀の遺書」(巣鴨遺書編纂会刊行事務所、復刻版は講談社)からの剽窃もあったと主張している。しかし、これらの著者で著作権を主張して名乗り出た者はなく(特に「世紀の遺書」は文字通り処刑された戦犯の遺書である)、版権にも影響していない。なおこの加藤の主張を考慮してか、1994年のドラマ版ではこれらの書籍が制作参考資料としてクレジットされている。
  9. ^ 「狂える戦犯死刑囚」冒頭に、「以下は、かつて戦犯であった一市民の綴り方である。かならずしも事実に基づいてはいないが、全部がフィクションだと考えてもらってはこまる。このへんのことは、やがて時が解明してくれるだろう」と断り書きがある。また、後年の著作権裁判では、一度は死刑判決を受けた加藤が、執行逃れのために一時的に収容されていた精神病院(米軍361病院、同愛病院)で、同室していた者の言動からヒントを得たと述べている。
  10. ^ より正確には、いったん死刑判決を受けたが、減刑された二等兵はいる(林博史『BC級戦犯裁判』、岩波書店岩波新書、2005年、ISBN 978-4004309529)。
  11. ^ 挨拶に黒澤明を訪ねると「橋本よ……これじゃ、何か大事なものが足りなくて、貝にはなれないんじゃないかな」「私もその通りだと思ったので一生懸命考えた。が、どうしても思いつかなかった」と橋本が振り返るという話が残っている(大庭牧子朝日新聞be“今なお足りない「何か」”2014年7月2日)。
  12. ^ 橋本忍の述懐によると、映画化に際して東宝の藤本真澄プロデューサーからは「主役はフランキーで動かないが、女房の役は新珠三千代。これだけは崩せないよ」と言われたという(1959年版映画DVD・封入リーフレットに掲載の「秋晴れの運動会」より)。
  13. ^ この「秋晴れの運動会」によると、「砂の器」や「八甲田山」の製作終了後、橋本プロダクション(1973年、橋本らが設立)で映画化が検討された企画の中に、「私は貝になりたい」のリメイクもあったという。
  14. ^ なお、SMAP解散後は2008年版は放送されず、2020年の終戦記念日に至っては1958年版のみの放送であった。
  15. ^ 本来の初監督作品だった『涙そうそう』は、急病で途中降板していた。
  16. ^ 橋本はいわゆる「黒澤組」のシナリオライターであり、「羅生門」、「七人の侍」などの脚本に参加している。
  17. ^ 19:00 - 21:30に「キリンチャレンジカップ2012」(日本×ベネズエラ戦)が編成されたため、通常より30分遅れの21:30開始となった。
  18. ^ 翌年の『第60回NHK紅白歌合戦』も続投。

出典

  1. ^ 講談社 編『TVグラフィティ : 1953年〜1970年ブラウン管のスター・ヒーロー・名場面1700』講談社、1978年4月3日、167頁。NDLJP:12275878/87 
  2. ^ 志賀信夫『テレビヒット番組のひみつ : 「ジェスチャー」から「おしん」まで』日本放送出版協会、1984年8月1日、55 - 57頁。NDLJP:12275392/31 
  3. ^ 引田惣弥「全記録 テレビ視聴率50年戦争-そのとき一億人が感動した」講談社、2004年、37頁。ISBN 4062122227
  4. ^ a b c d 2002年1月発行「TBS50年史」
  5. ^ NHKクロニクル「テレビ放送開始30周年記念番組 ドキュメンタリー ブラウン管の一万日 - テレビは何を映してきたか - 」 - NHKアーカイブス
  6. ^ 2009年度興収10億円以上番組(日本映画製作者連盟 2010年1月発表)
  7. ^ 2008年11月6日深夜(11月7日午前)放送のTBS『エンタの味方!』より
  8. ^ 1994年10月11日付『朝日新聞』(東京本社管内)夕刊19面の記事などより
  9. ^ 本年度『紅白歌合戦』司会に中居正広&仲間由紀恵が正式決定,ORICON NEWS,2008年11月24日
  10. ^ スポーツニッポン』2008年11月25日
  11. ^ 合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』
  12. ^ 飯塚浩二編集『あれから七年―学徒戦犯の獄中からの手紙』ASIN B000JBBGZS
  13. ^ 1956年10月31日公開、松竹映画
  14. ^ 椎野八束編集『別冊歴史読本特別増刊 未公開史料 戦争裁判処刑者一千 勝者は敗者をいかに裁いたか』
  15. ^ 茶園義男編集 ISBN 9784820556565


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私は貝になりたい

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加藤哲太郎」の記事における「私は貝になりたい」の解説

1952年サンフランシスコ平和条約公布され以降巣鴨プリズンでは進駐軍警戒がゆるむようになった(翌年正式に日本返還され東京拘置所改称)。これに乗じて哲太郎は岩波書店の「世界」に密かに投稿し、同誌10月号に「私達再軍備引換え切符ではない」が「一戦犯者」名義掲載された。哲太郎は、吉田茂内閣再軍備憲法改正への不満をそらすため戦犯釈放抱き合わせにしようとしていると批判したこの内容に笹川良一らが怒り筆者犯人捜しを行った。しかし岩波書店筆者漏らさず、また服役中戦犯に哲太郎の投稿への支持者多かったため、やがて沙汰やみとなった当時戦犯は、再軍備派と護憲派割れていた(内海愛子後者を「平和グループ」と呼んでいる)。後者属した飯田進の回想によると、笹川の「これはあなたたち戦犯者釈放運動水をさすものだ」という意見伝えられると、「中身がわからなくちゃ、その善悪決めようが無いじゃないか」と意見する者がいたため、巣鴨プリズン全棟で「私達再軍備引換え切符ではない」が読み上げられ内容可否を問うことになったその結果、「多少えげつない表現はあるが、論理的には筋が通っている。あながち間違ったことを書いてはいない。笹川も案外ケツの穴が小さいな」ということ一件落着したという。 1953年2月、『あれから七年――学徒戦犯獄中からの手紙』(飯塚浩二編、光文社)に「志村郁夫」「戸塚良夫名義寄稿した当時哲太郎は服役中であり、寄稿者はいずれペンネームだった。志村郁夫名義書いた『狂える戦犯死刑囚』では、後に放映されるドラマ『私は貝になりたい』原作となる遺書書かれていた。これは、自分経験や、また一時収容されていた精神病院精神病診断されれば、死刑執行されなかった)に一緒に入院していた人物の言動元に赤木曹長という架空の人物仮託したものである赤木俘虜虐待の罪で処刑されたという設定であり、これは哲太郎がそうなり得た存在だった。 1958年4月残りの刑を免除され哲太郎は出所同年10月31日12月21日二度にわたり、ラジオ東京テレビ(現・TBSテレビ)にてドラマ『私は貝になりたい』放映された。この作品中主人公書いた遺書内容が(一部変えられいたものの)『狂える戦犯死刑囚』のものと酷似していたが、哲太郎の元に何の連絡もなかった。哲太郎は同ドラマ脚本執筆した橋本忍に、自分原作認め今後再放送映画化に際しては、光文社刊『あれから七年』を原作としてクレジット入れるよう要求した。しかし橋本は「週刊朝日」に引用され件の遺書利用したもので、ニュース材料として自分創作したものだとこれを拒否。さらに「このまゝ沈黙して呉れるなら十万円を出します。それは私のポケットマネーであって原作料ではない」と発言した哲太郎は、橋本のこの言動を、自分強請たかりの類い侮辱したものと感じた1959年1月23日志村郁夫は自分であると名乗り出て、社団法人日本著作権協議会仲裁委員会通じ橋本ラジオ東京テレビ著作権法違反であると申立て、さらに版権主張した。ただ、「週刊朝日」については、実際遺書勘違いしていたと落ち度認めたため、それ以上追及はしなかった。その結果、まず東宝との間に、以下のタイトル入れることで映画化契約結んだ原作 物語構成 橋本忍 題名遺書 加藤哲太郎 一方橋本ラジオ東京テレビ最初はこの条件受け入れなかったが、東宝哲太郎と契約結んだことで、橋本著作権協議会に同じ条件仲裁受諾するという受諾書を提出したまた、この頃哲太郎は結核患っており、心身疲労もあって仲裁斡旋取り下げ考え始めていた。ところが、12月26日ラジオ東京テレビクレジット修正をせずまたも再放送行ったので、ついに哲太郎は橋本と@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}ラジオ東京テレビへの刑事告訴状[要検証ノート]を東京地検提出したが、地検取り上げなかった。 1960年11月東京放送ラジオ東京テレビより改称)と和解し東宝との契約準じた申し合わせ行ったこのため現在では上記のようにクレジットされるようになっているこの他山口青・竹谷しげる著『壁厚き部屋』(理論社復刻版鷺草発行所)、巣鴨遺書編纂会編『世紀の遺書』(巣鴨遺書編纂刊行事務所復刻版講談社)からの剽窃もあったと哲太郎は主張した。しかし、剽窃があったとされる記事筆者名乗り出たものはなく(特に、『世紀の遺書は文字通り処刑され戦犯遺書であるため)、そのため契約には影響していない。 『私は貝になりたい』その後ドラマ1994年)と映画2008年)で哲太没後一度ずつリメイクされている。1994年のドラマリメイク版でもクレジット踏襲され、2008年の映画リメイク版では、「遺書原作題名 加藤哲太郎」となり、出典となった『狂える戦犯死刑囚』も初め明記された。

※この「私は貝になりたい」の解説は、「加藤哲太郎」の解説の一部です。
「私は貝になりたい」を含む「加藤哲太郎」の記事については、「加藤哲太郎」の概要を参照ください。

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