滝山一揆とは? わかりやすく解説

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滝山一揆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/28 15:21 UTC 版)

滝山一揆(たきやまいっき)は、1603年慶長8年)11月、土佐国本山郷(高知県長岡郡本山町)にて、山内氏に対して起こされた、長宗我部遺臣の一領具足高石左馬助らによる武装一揆。瀧山一揆、本山一揆ともいう。

概略

関ヶ原の戦いの以前より、土佐本山は長宗我部氏が一領具足の郷士らの領地を安堵していた特殊な地域であった。長宗我部氏の改易後も、郷士らは山内氏の支配に反対して領地安堵を要求し、百姓らを扇動して年貢上納を拒否させていた。

1603年(慶長8年)11月、本山支配の土佐藩家老・永原一照(山内刑部一照)は、郷士らが百姓らを扇動して年貢上納を拒否させていることを知り、中心人物である高石左馬助を呼び出して委細を詰問したが、高石は凶作を理由に上納を拒否したうえ、鉄砲5挺で武装して本山地区内の滝山に砦を築いて立て籠った。5日間の戦いの果てに一揆勢の敗色が濃厚となるや、高石は逃走したため、首謀者を失った百姓らは四散した。

参考文献

  • 『土佐農民一揆史考』平尾道雄著、高知市民図書館、昭和28年(1953年)12月、8-13頁

関連項目


滝山一揆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 09:43 UTC 版)

永原一照」の記事における「滝山一揆」の解説

本山は、長宗我部氏が「北山500石」と称せらる本山氏一領具足在地支配認めていた地であったため、長宗我部氏改易後郷士らは領有主張して、新領主山内氏対抗して年貢納入拒んでいた。 慶長8年1603年11月業を煮やした一照は、北山土豪百姓らに「早々に年貢を納めるよう」再三布告をしたが、かつて北山80石を給せられていた高石左馬助は、「凶作理由にこれらを拒否するよう」百姓らを扇動したため、激怒した一照は百姓一軒一軒から一人ずつ人質取って33名の人質浦戸入牢させ、再度年貢を納めるよう」命じた。しかし、百姓等は左馬助らの威勢圧され年貢の上納に応じなかった事から、一照は左馬助本山土居呼び出して詰問するも、「豊作凶作天然自然次第であって人智の及ぶものにあらず、武力を以てめされようが、凶作ゆえに上納致したくとも上納すべきものがござらぬと言い逃れて立ち去った左馬助北山討伐予期しその日のうちに弟吉之助や北山百姓らを呼び寄せて武力決起準備進め、「反検地年貢減免」を掲げて近隣百姓100名を集めて北山滝山に立籠った。翌日、一照は与力井口左衛門左馬助のもとへ派遣したが、惣左衛門不穏な動き知って急ぎ帰参し、「百姓らが滝山防禦陣地作り一揆を謀てている」と言上した。驚いた一照は配下10名を従えて滝山向かったが、百姓らが鉄砲威嚇して来たため、一旦引き返して翌日手勢30名に増やして中島村方面から討伐開始した中島寺家村の百姓らはすぐに敗走したものの、滝山峻険にして天然要衝であり、滝山勢の銃弾が一照の鞍に当たる等膠着状態となったため、一照らは思案して高知伝令差し向けた。この報らせを受けて直ち評定開かれ、「近隣豊永郷の郷士豊永五郎衛門召し出して山道案内をさせ、野々村因幡山内掃部加勢して一揆鎮圧するよう」藩命下った豊永五郎衛門は、当時浪人していた竹崎太郎右衛門三谷次郎三郎等の長宗我部氏遺臣呼び寄せて討伐軍に加わることを説き野々村因幡山内掃部援軍本山まで先導するになったが、滝山攻略する道は一つしかなく一揆勢は鉄砲5艇を備え、また釣り石等を駆使して反撃したため多く死傷者出した。そこで一照らは作戦変更し、針窪山から大筒敵陣砲撃する事にしてようやく功を奏し百姓一揆勢は5日後に退散し左馬助紛れて土佐瓜生野退却し伊予国宇摩郡寒川村現在の四国中央市寒川町)に逃れた滝山百姓らはほとんどが一揆参加していたため、鎮圧後懲罰恐れて山に隠れていた。耕地荒廃懸念した豊永五郎衛門は、一照に「百姓らの罪を不問伏す事」や「未進分の年貢赦免する事」を嘆願した結果、一照は百姓らの帰村を図るためこの意見を容れて、「一揆扇動した山原左馬丞とその息子二人首謀者として断罪にする事」と「百姓らの刀を召し上げにする事」を条件百姓全員の罪を免じた。しかし、浦戸捕らえられていた人質中に大工の彦右衛門という者がおり、「明日人質全員処刑される」という風聞信じ隠し持っていた小さな爪きり人質10人と無理心中した。山内氏土佐治政対す最後の抵抗であり、これ以降一領具足弱体化していった。

※この「滝山一揆」の解説は、「永原一照」の解説の一部です。
「滝山一揆」を含む「永原一照」の記事については、「永原一照」の概要を参照ください。

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