滝山一揆
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滝山一揆(たきやまいっき)は、1603年(慶長8年)11月、土佐国本山郷(高知県長岡郡本山町)にて、山内氏に対して起こされた、長宗我部遺臣の一領具足・高石左馬助らによる武装一揆。瀧山一揆、本山一揆ともいう。
概略
関ヶ原の戦いの以前より、土佐本山は長宗我部氏が一領具足の郷士らの領地を安堵していた特殊な地域であった。長宗我部氏の改易後も、郷士らは山内氏の支配に反対して領地安堵を要求し、百姓らを扇動して年貢上納を拒否させていた。
1603年(慶長8年)11月、本山支配の土佐藩家老・永原一照(山内刑部一照)は、郷士らが百姓らを扇動して年貢上納を拒否させていることを知り、中心人物である高石左馬助を呼び出して委細を詰問したが、高石は凶作を理由に上納を拒否したうえ、鉄砲5挺で武装して本山地区内の滝山に砦を築いて立て籠った。5日間の戦いの果てに一揆勢の敗色が濃厚となるや、高石は逃走したため、首謀者を失った百姓らは四散した。
参考文献
関連項目
滝山一揆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 09:43 UTC 版)
本山は、長宗我部氏が「北山500石」と称せらる本山氏ら一領具足の在地支配を認めていた地であったため、長宗我部氏改易後も郷士らは領有を主張して、新領主山内氏に対抗して年貢の納入を拒んでいた。 慶長8年(1603年)11月、業を煮やした一照は、北山の土豪・百姓らに「早々に年貢を納めるよう」再三布告をしたが、かつて北山で80石を給せられていた高石左馬助は、「凶作を理由にこれらを拒否するよう」百姓らを扇動したため、激怒した一照は百姓一軒一軒から一人ずつ人質を取って計33名の人質を浦戸に入牢させ、再度「年貢を納めるよう」命じた。しかし、百姓等は左馬助らの威勢に圧されて年貢の上納に応じなかった事から、一照は左馬助を本山土居に呼び出して詰問するも、「豊作凶作は天然自然の次第であって人智の及ぶものにあらず、武力を以て示めされようが、凶作ゆえに上納致したくとも上納すべきものがござらぬ」と言い逃れて立ち去った。 左馬助は北山討伐を予期し、その日のうちに弟吉之助や北山の百姓らを呼び寄せて武力決起の準備を進め、「反検地と年貢減免」を掲げて近隣の百姓約100名を集めて北山の滝山に立籠った。翌日、一照は与力井口惣左衛門を左馬助のもとへ派遣したが、惣左衛門は不穏な動きを知って急ぎ帰参し、「百姓らが滝山に防禦陣地を作り、一揆を謀てている」と言上した。驚いた一照は配下10名を従えて滝山に向かったが、百姓らが鉄砲で威嚇して来たため、一旦引き返して、翌日手勢を30名に増やして中島村方面から討伐を開始した。中島・寺家両村の百姓らはすぐに敗走したものの、滝山は峻険にして天然の要衝であり、滝山勢の銃弾が一照の鞍に当たる等膠着状態となったため、一照らは思案して高知に伝令を差し向けた。この報らせを受けて直ちに評定が開かれ、「近隣豊永郷の郷士豊永五郎衛門を召し出して山道を案内をさせ、野々村因幡と山内掃部を加勢して一揆を鎮圧するよう」藩命が下った。 豊永五郎衛門は、当時浪人していた竹崎太郎右衛門、三谷次郎三郎等の長宗我部氏遺臣を呼び寄せて討伐軍に加わることを説き、野々村因幡、山内掃部ら援軍を本山まで先導する事になったが、滝山を攻略する道は一つしかなく一揆勢は鉄砲5艇を備え、また釣り石等を駆使して反撃したため多くの死傷者を出した。そこで一照らは作戦を変更し、針窪山から大筒で敵陣を砲撃する事にしてようやく功を奏し、百姓ら一揆勢は5日後に退散し、左馬助は霧に紛れて土佐瓜生野に退却し、伊予国(宇摩郡寒川村、現在の四国中央市寒川町)に逃れた。 滝山の百姓らはほとんどが一揆に参加していたため、鎮圧後も懲罰を恐れて山に隠れていた。耕地の荒廃を懸念した豊永五郎衛門は、一照に「百姓らの罪を不問に伏す事」や「未進分の年貢も赦免する事」を嘆願した結果、一照は百姓らの帰村を図るためこの意見を容れて、「一揆を扇動した山原左馬丞とその息子二人を首謀者として断罪にする事」と「百姓らの刀を召し上げにする事」を条件に百姓ら全員の罪を免じた。しかし、浦戸に捕らえられていた人質の中に大工の彦右衛門という者がおり、「明日人質全員が処刑される」という風聞を信じ、隠し持っていた小さな爪きりで人質10人と無理心中した。山内氏の土佐治政に対する最後の抵抗であり、これ以降、一領具足は弱体化していった。
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