種崎浜の一領具足粛清について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 03:55 UTC 版)
「功名が辻」の記事における「種崎浜の一領具足粛清について」の解説
土佐入国後、長曾我部氏の家臣との対立にも悩んだ山内一豊が「相撲大会」と称して種崎に一領具足を集めて虐殺したというエピソードが物語の終末に描かれる。史実では、慶長5年(1600年)11月に、徳川・山内による土佐収公に反発した長曾我部旧臣による浦戸一揆が発生したのち、翌慶長6年(1601年)に一豊が土佐に入国し、その直後の同年3月、山内側は桂浜で相撲大会を開催し、この際に見物に集まった浦戸一揆関係の一領具足73人を逮捕し、種崎浜で処刑した。その後、慶長8年(1603年)に長曾我部旧臣による大規模な滝山一揆が起きている。一方、『功名が辻』では、浦戸一揆、本山一揆(滝山一揆に比定)の後に相撲大会の事件が起きたと描かれた。相撲大会の件は完全なフィクションではないが、史実とは順番が異なっている。
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