善無畏とは? わかりやすく解説

ぜんむい〔ゼンムヰ〕【善無畏】

読み方:ぜんむい

《(梵)Subhakara-simha》[637735密教列祖の一。インドマガダ国王子中央アジア経て長安入り玄宗勅命により「大日経」などを漢訳中国密教基礎つくった


善無畏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/27 22:27 UTC 版)

善無畏(奈良国立博物館所蔵『真言八祖像』のうち)

善無畏(ぜんむい、: Śubhakarasiṃha、シュバカラシンハ、637年 - 735年11月25日開元23年11月7日))は、インド摩伽陀国国王訳経僧である[1]輸波迦羅(ゆばから)とも表記される[1]

経歴

  • 637年、中部インドの貴族家庭に生まれる。幼年より神童と称され、摩伽陀国の国王となる。兄たちの反乱を平定した後、出家[1]ナーランダー僧院にて達磨笈多(だるまきくた、ダルマグプタ)に師事し、彼から密教を学ぶ[1]

訳経

著作

  • 『無畏三蔵禅要』、唐代の禅僧が善無畏三蔵にインド密教の「禅定」について質問した記録。真言宗では三昧耶戒の資料として参照される。中国では禅宗においても戦前まで広く読まれていた。

日本渡来伝説

六国史などの公的な記録には無いが、 

  • (年月不詳)布教のために来日した善無畏が、糟屋郡篠栗町若杉山の道中にグーズ(大亀)に出会い山頂まで運んでもらう。善無畏は感謝して八大龍王の儀式を行なうとグーズは岩と化した。これが現在グーズ岩と呼ばれる大岩として残存しているという[2]
  • 717年(養老元年)京丹後市の縁城寺に千手観音像を安置した[3]
  • 718年(養老2年)南砺市の安居寺を開く。後に行基が伽藍を造営した[3]
  • 718年(養老2年)橿原市の久米寺に仏舎利と大日経を納め宝塔を建立した[3]
  • 720年(養老4年)横浜市の後に弘明寺となる地に結界を張って浄域とした。後に行基が伽藍を造営した[3]

などの伝説が各地に残る。

脚注

  1. ^ a b c d 小野塚幾澄「善無畏」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)、小学館。
  2. ^ ささぐり紀行PDF版 - 篠栗町 歴史民俗資料室
  3. ^ a b c d 弘明寺って西遊記の三蔵法師が建てたって本当? はまれぽ.com

参考文献

関連項目

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