畠山家とは? わかりやすく解説

畠山氏

(畠山家 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 00:38 UTC 版)

畠山氏(はたけやまし/はたけやまうじ)は、武家士族だった日本氏族桓武平氏系と清和源氏系の2家系あり、前者は秩父氏一族で平安時代末から鎌倉時代初期の豪族だが、北条氏に滅ぼされた(こちらについては畠山氏 (平姓)参照)[1]。後者は足利氏一族で室町時代守護大名幕府管領家として栄えた[1]。しかし同家の家督争いが応仁の乱の一因となり、その後も内紛が続いて没落した[1]江戸時代には高家として残り、明治維新後「足利」に復姓して士族[2]。分家に能登の守護を代々世襲した能登畠山氏もあり[1]、こちらも江戸時代の高家を経て維新後士族となった(こちらは畠山姓のまま)[3]


注釈

  1. ^ 異説として、時政女を所生とする畠山重忠の娘[4]
  2. ^ ただし、重忠の所領は後家(一説に岳母)から直接息子泰国に継承され[5]、さらに一部は新田義兼の娘の子孫である岩松氏に流れた可能性がある[6]など、義純の畠山氏継承には不明点も多い。

出典

  1. ^ a b c d 日本大百科全書(ニッポニカ)『畠山氏』 - コトバンク
  2. ^ a b c 松田敬之 2015, p. 53.
  3. ^ a b c 松田敬之 2015, p. 573.
  4. ^ 竹村 2009, p. 23.
  5. ^ 渡 2012, p. [要ページ番号].
  6. ^ 彦由 2012, p. [要ページ番号].
  7. ^ 松田敬之 2015, p. 54/573.
  8. ^ 畠山氏を称したという史実は、横山昭男『上杉鷹山』(吉川弘文館、1987年)の4ページに『勝煕(のちに畠山氏を名乗る)』との記述があることより確認できる。治憲との関わりが薄いこともあり、同書でも上記以外の説明はない。
  9. ^ 萩尾俊章(『沖縄県立博物館紀要』20号、1994年)114頁



畠山家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:19 UTC 版)

センゴク」の記事における「畠山家」の解説

『天正記』登場能登国七尾城本拠地とする守護大名家。その立地故、上杉家織田家諍い翻弄され当主相次ぐ早世加えて内部抗争により衰退上杉軍侵攻を受け、大名家としては滅亡したその後上杉家衰退により織田家北陸方面軍によって平定され、能登前田家領地となっている。手取川の戦い前にクローズアップされ描かれた。 畠山義綱はたけやま よしつな通称修理大夫。畠山家当主畠山氏足利氏血筋を引く名族三管領)である事を誇り思っている。家中内乱によって腹心遊佐続光に城を追放され、弟である義春と上杉家身を寄せる。「義を重んじる」と聞き及んでいた上杉家一行復位為に動かない事に焦燥募らせながら、徒に年を重ねていく。息子である義慶が自身との内通疑った遊佐謀殺され、更に孫の春王丸まで傀儡君主として人質にされる苦難を味わう。 涙ながらに「義による挙兵」を嘆願した末に謙信が軍を挙げるも、同時に自身でも孫でもなく弟の義春が家督引き継ぐと言い渡されるその後消息定かではないが、煩悶の末に入水したする伝承記載されている。 畠山義春はたけやま よしはる通称民部大輔。義綱の弟。兄と共に上杉家を頼るが、兄と異なり次第謙信崇拝するうになる上杉家疑い抱いた兄に「義は永久かつ絶対」という謙信言葉説き、畠山家すらもその前に小事であるとまで言い切る。甥の暗殺後謙信挙兵すると、兄を差し置いて謙信から当主指名される畠山義慶はたけやま よしのり通称修理大夫。義綱の子で、義綱に代わって遊佐続光擁立される。後に父や上杉家通じている事が露見し間もなく遊佐によって毒殺される。畠山家の行く末を死の間際でも案じ続け遊佐恨まぬように言い残した上で長続連に春王丸託した畠山春王丸はたけやま はるおうまる) 義慶の遺児。自らの事は「春」と称する。義慶が謀殺された後、遊佐続光によって擁立される。齢五歳の幼童ながら、飢え苦し領民の姿を見て自ら織田軍に与するという英断下す。しかし間もなく疫病によって夭折した遊佐続光ゆさ つぐみつ通称美作守。畠山七人衆一人主君である畠山兄弟駆逐し傀儡立てて畠山家を牛耳ろうと画策する。春王丸没後クーデター起こして父子自害追い込み上杉家投降したその後長連龍殺された。 長続連ちょう つぐつら通称対馬守畠山七人衆一人。義慶の信任厚く、その遺言託される織田軍に与しようと画策するも、土壇場遊佐謀略によって七尾城奪われ自害させられた。 長綱連ちょう つなつら) 続連の長男父とともに織田家与するために行動するも、遊佐クーデターの際に父とともに自害させられた。 長連龍ちょう つらたつ通称九郎左衛門。続連の三男僧形をしている。父の名代として信長謁見七尾城への先導買って出るも、時すでに遅く政敵であった遊佐続光によって父兄謀殺される。その後浪人衆を率いて復讐挙兵遊佐一族誅殺した。

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畠山家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 16:37 UTC 版)

はれときどきぶた (テレビアニメ)」の記事における「畠山家」の解説

畠山 則安(はたけやま のりやす) 声 - 南央美 主人公丸顔小学3年生あだ名十円安(じゅうえんやす)。他のキャラクターほどにクセ強くないが、主人公意識は強い。その反面、妹思い真面目な心優しい少年である。また、自分の「畠山則安」という名前を漢字書けないことを堂々とカミングアウトするなど、天然なところもある。一方、母の教育方針にやや納得していない様子で、せめてテスト平均点取りたいと、勉強熱心なところがある。文部省がこのアニメ推薦しないことを嘆いていた。顔のパーツ福笑いのような仕組みになっており、ずれたり外れたりする。 はれぶた 声 - かないみか もう一匹主人公。則安が日記に「今日の天気はれときどきぶたと書いたことで現れ子ぶた。則安は慌てて日記のぶたを消したのだが、端にある1匹を消し忘れたがためにこのぶただけが現実世界のものとして残った。 実はぶた王国王子で、お尻王家家紋がある(第58話でその家紋現れた)。 不思議なぶたパワー人間の頭を吸い考えていることを現実化させることができる。 イモムシを危険から助けたり一人寂し老人思い涙を流したり、飛べない鯉のぼり助言するなどとても心優しい性格である。鳴き声は「ぷゆゆ〜い!」だが、たまに喋る。 畠山 玉江はたけやま たまえ) 声 - 間宮くるみ 則安の妹。通称玉ちゃん世間擦れした性格3歳児。則安と同じく丸顔電話が嫌いで、受話器叩き壊そうとする場面もある。 畠山 安江はたけやま やすえ) 声 - 松井菜桜子 則安の母。旧姓大森おおもり)。パパリストラ原因なのか極度学歴不信で、パパのようになって欲しくないからと則安に一切勉強させない。「手に職!足にも職!」が口癖また、自分美人思っていたりとナルシスト一面教育方針違いから、和子先生とよく対立する原作違い茶髪になっている畠山 玉則(はたけやま たまのり) 声 - 梁田清之 則安の父。一流大学出て一時一流企業就職したものの、バブル崩壊のせいでリストラ遭いママ実家印刷工場大森印刷名ばかり部長務める。 普段は常に笑っているような顔だが、怒って眼鏡を外すとすさまじ形相になり、その顔はテレビで見せられないほどに恐ろしい(顔が陰になる)。怒り収めるためには眼鏡を再びかけさせるしかないが、その眼鏡自分のでなくても構わない。 「ゲテモノクラブ」という「ゲテモノ料理して食べさせる楽しい会」を主催している。また、ゲテモノ的な(変なコンセプト持った車が大好き”で、いつもレンタカー異様に長いリムジンタイヤがとても大き4WD (RV) 車、さらに横幅長いハッチバック車などを借りてくる。 若い頃襟足長くしていた。 ブラックユーモアよく言う納豆御飯お味噌汁にマヨネーズ掛けたり、オムライスお茶漬けにしたりするなど味覚可笑しい

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畠山家(河内半国・紀伊守護家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 12:06 UTC 版)

高家 (江戸時代)」の記事における「畠山家(河内半国・紀伊守護家)」の解説

清和源氏足利氏流。室町幕府三管領である畠山金吾家からの分家畠山政国畠山政長曾孫)の曽孫旗本の政信の子孫。政信の子の基玄以降高家になった5000石。慶応4年1868年7月朝臣転じていた基永は弁事役所申請して畠山姓を本姓足利姓に改めている。

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畠山家(能登守護家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 12:06 UTC 版)

高家 (江戸時代)」の記事における「畠山家(能登守護家)」の解説

清和源氏足利氏流。 上杉謙信養子上条上杉政繁養子で、能登畠山氏の子である畠山上杉)義春の三男義真の子孫。前記高家上杉家とは兄弟関係にある。3120石。義真の子の代から高家

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