畠山国儔とは? わかりやすく解説

畠山国儔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/01 14:09 UTC 版)

 
畠山 国儔
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦9年(1759年
死没 享和元年(1801年
別名 右膳、二郎四郎(通称)
幕府 江戸幕府 高家旗本
主君 徳川家治家斉
氏族 高家畠山氏
父母 畠山国祐、堀川広益
畠山政如
兄弟 政如、義福国儔
市橋長璉
女子、国祥、岩之進、熊之助
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畠山 国儔(はたけやま くにとも[1])は、江戸時代中期から後期にかけての高家旗本

通称は、右膳、二郎四郎[2]

略歴

高家旗本・畠山国祐の九男として誕生[2]。生母は高家旗本・堀川広益の娘[2]

兄・政如の養子となる[2]安永7年(1778年)12月6日、政如の死去により家督を相続する[2][1]采地5000石[2][1]。同月19日、10代将軍・徳川家治御目見する[2]

生涯、表高家として過ごし、高家職に就くことはなかった。

享和元年(1801年)死去、享年33。

妻は近江国仁正寺藩藩主・市橋長璉の娘[2]。子は、女子、国祥、岩之進、熊之助[2]

脚注

  1. ^ a b c 小川 1998, p. 2163.
  2. ^ a b c d e f g h i 堀田等 1964, p. 251.

参考文献

外部リンク

先代
畠山政如
高家河内畠山家当主
1778年 - 1801年
次代
畠山国祥




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