速水守久(はやみ もりひさ) ????~1615
○時久 種久 種之 甲斐守
◇子:速水出来麿
近江・浅井郡の土豪。近江・浅井氏に仕え、主家滅亡後は羽柴秀吉に従い近習頭となる。小牧・長久手の戦い、小田原征伐、朝鮮出兵に従軍。秀吉死後はその子秀頼に仕え、関ヶ原の戦い後、七手組頭筆頭となった。1614年に方広鐘銘問題が起こり、同朋片桐且元が内通を疑われると、その調停に尽力するが、結局且元は大坂城から退去。その後も、豊臣家中の不和の調停に努める。大坂冬の陣では、鴫野の戦いで上杉景勝の軍勢相手に奮戦。夏の陣の天王寺の戦いでは遊軍として真田幸村隊の後方に陣を構え、藤堂高虎を破る等奮戦したが、結局豊臣勢は敗れて大坂城へ戻る。この時、秀頼が敵中突撃しようとするところを止めて城内に引き返させている。秀頼らの助命を求めるが容れられず、秀頼に殉死。
◇子:速水出来麿
近江・浅井郡の土豪。近江・浅井氏に仕え、主家滅亡後は羽柴秀吉に従い近習頭となる。小牧・長久手の戦い、小田原征伐、朝鮮出兵に従軍。秀吉死後はその子秀頼に仕え、関ヶ原の戦い後、七手組頭筆頭となった。1614年に方広鐘銘問題が起こり、同朋片桐且元が内通を疑われると、その調停に尽力するが、結局且元は大坂城から退去。その後も、豊臣家中の不和の調停に努める。大坂冬の陣では、鴫野の戦いで上杉景勝の軍勢相手に奮戦。夏の陣の天王寺の戦いでは遊軍として真田幸村隊の後方に陣を構え、藤堂高虎を破る等奮戦したが、結局豊臣勢は敗れて大坂城へ戻る。この時、秀頼が敵中突撃しようとするところを止めて城内に引き返させている。秀頼らの助命を求めるが容れられず、秀頼に殉死。
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