伊東長久とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 伊東長久の意味・解説 

伊東長久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/03 16:19 UTC 版)

 
伊東長久
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文2年(1533年[1]
死没 天正13年8月(1585年
改名 祐之/祐久(初名)→ 長久
別名 編笠清蔵、伊東七蔵、伊東清蔵
通称:七蔵、清蔵、法名:善眞[2]
主君 織田信長羽柴秀吉
氏族 伊東氏岩倉伊東家[4]
父母 父:伊東祐元(若狭守)
兄弟 武兵衛長久
川崎氏
長実、女(平野道茂[5]室)
テンプレートを表示

伊東 長久(いとう ながひさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将赤母衣衆の一人。備中伊東氏岡田藩主家の祖。は初め祐之(すけゆき)[3]、『寛政譜』では祐久(すけひさ)[6]で、後に織田信長より偏諱を賜って長久に改める。通称は七蔵とも清蔵ともいい、七蔵と清蔵は別人との説もあるが、谷口克広は同一人物としている[3]

生涯

若狭守の子[1]武兵衛は兄。一族はもともと相模国の出身だが、祖父の長時の頃に尾張岩倉に移住し、祐之はかなり早くに織田信長に仕えた。堀田左内・城戸少左衛門と共に「鑓三本」に数えられた槍の名手[7]

天文21年(1552年)、尾張三本木村(萱津の戦い)では、兜をつける隙きも無く編笠をかぶって奮戦したことで、信長より「編笠清蔵」の異名で呼ばれたと伝わる[8][1]

永禄年間に選抜された信長の母衣衆では赤母衣衆に選抜された[3]

元亀元年(1570年)の小谷城攻めで活躍し、信長から一字拝領を受けて長久と改めた[9]

天正元年(1573年)8月からの小谷城の戦いの終盤には、羽柴秀吉の配下として参戦[1]。この戦闘では刀、脇差などを紛失しながらも無刀で三人を討ったという[8]。その後も羽柴秀吉に従い、同年9月、秀吉の腰母衣衆に選ばれ、旗奉行ともなる[8][1]

天正12年(1584年)の小牧の戦いに従軍した[10]。秀吉本陣の備えとして佐久間忠兵衛、真野助宗、池田与左衛門、速水守久、佐藤主計頭、尼子六郎左衛門と共に小姓組七手の合計4,000を率いた[11]

天正13年(1585年)8月、佐々成政に対する越中征伐に従軍したが、加賀国金沢城で病死したという[8][12]。死地は金沢ではなく小松ともいう[1]。享年53[1]

跡を継いだ子の長実は岡田藩初代藩主となり、子孫は明治維新まで岡田藩主を務めて華族に列せられている。

脚注

  1. ^ a b c d e f g 高柳 & 松平 1981, p. 23.
  2. ^ 堀田 1923, p. 696.
  3. ^ a b c d e f g h i 谷口 1995, p. 59.
  4. ^ 姓は「堀江」とも称したという[3]
  5. ^ 茂右衛門。豪商で豊臣秀吉の河内代官も務めた末吉利方の弟・平野道忠の子。
  6. ^ 堀田正敦 国立国会図書館デジタルコレクション 『寛政重脩諸家譜. 第5輯』國民圖書、1923年、696頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082718/357 国立国会図書館デジタルコレクション 
  7. ^ 信長公記』による[3]
  8. ^ a b c d 武家事紀』による[3]
  9. ^ 『小川栄一氏文書』による[3]
  10. ^ 『浅野家文書』による[3]
  11. ^ 東京帝国大学文学部史料編纂所 編 国立国会図書館デジタルコレクション 『大日本古文書. 家わけ第2 (浅野家文書)』東京帝国大学、1906年、37頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994445/42 国立国会図書館デジタルコレクション 
  12. ^ 賤ヶ岳の戦いの途上で病死したというのは誤伝[3]

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「伊東長久」の関連用語

伊東長久のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



伊東長久のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの伊東長久 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS