伊東武兵衛とは? わかりやすく解説

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伊東武兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/31 06:51 UTC 版)

 
伊東武兵衛
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 永禄12年1月21日1569年2月6日
別名 夫兵衛、伊藤武兵衛
主君 織田信長今川氏真
氏族 伊東氏岩倉伊東家
父母 父:伊東祐元(若狭守)
兄弟 武兵衛長久

伊東 武兵衛(いとう ぶへえ)は、戦国時代武将織田氏今川氏の家臣。

生涯

元々は相模国の住人であったが尾張国に移り住んで織田信長に召し出されて仕えたという[1]

天文年間後期に開かれたと思われる年不詳7月18日の津島盆踊り大会では武兵衛は飯尾定宗らと共に武蔵坊弁慶の仮装をして登場して現れたというので、他国から移住してきた人間ではあるが信長の家臣としては古参の部類に入ると言える[2]

永禄年間(1558年以降)に入ってから黒母衣衆に選抜された[3]が、その後に故あって坂井迫盛[4]という人物を斬殺して織田家を出奔し、今川氏真に仕えた[1]

永禄12年(1569年)1月21日、掛川城を脅かす徳川家康の軍と天王山で交戦した際、徳川家臣の椋原次右衛門に討ち取られた。なお、この時点の武兵衛の今川家での地位は槍大将であった[5]

脚注

  1. ^ a b 武家事紀
  2. ^ 信長公記
  3. ^ 『高木文書』
  4. ^ 谷口克広太閤記寛永諸家系図伝などの記述を総合してこの人物を赤川景弘と同一人物としている。
  5. ^ 『松平記』など



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