伊東重信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 05:00 UTC 版)
伊東 重信(いとう しげのぶ、生年不詳 - 天正16年7月4日(1588年8月25日))は、戦国時代から安土桃山時代の武将。陸奥国の伊達氏の家臣。諱は重信。通称は金四郎または新左衛門。伊東 肥前(いとう ひぜん)とも。安積祐重の子。伊東重綱、重村の父。伊東重孝の祖父。
注釈
- ^ 『郡山市史第8巻資料編』第3章中世史料230『仙道田村荘史』所収の『歓集直山章』に「天文十二年四月 田村隆顕来安積、会津名代衆安積調切之武士攻之乱入、二十七郷奪六個所、此時会津方敗、至十月引退中山、侍四十一人雑兵八百騎被討、所掠下飯津、前田沢、小原田、郡山、荒井、名倉云々」と記されていることから、『郡山市史新版』ではこれら6ヶ所のいずれかが安積氏の本拠だった可能性が示唆されている。
- ^ 現在の福島県伊達郡国見町小坂
- ^ 輝宗次男の国分氏への入嗣が決まっており、政重は輝宗の次男が生まれるまでの代官として国分氏に送り込まれていたに過ぎないため、政重の家督相続には家中の反発があった。
- ^ 参勤交代の際に伊達家が必ず供養したことから「仙台仏」とも呼ばれている。
出典
- 1 伊東重信とは
- 2 伊東重信の概要
- 伊東重信のページへのリンク