郡山合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 03:46 UTC 版)
郡山合戦(こおりやまがっせん)は、天正16年(1588年)2月から7月にかけての、安積郡郡山城・窪田城一帯をめぐる伊達政宗軍と蘆名義広・相馬義胤連合軍との一連の戦闘の総称である。ただし、田村清顕没後の田村氏の混乱(天正田村騒動)に乗じた同年4月以降の相馬氏の田村領侵攻とこれに対する伊達氏の反撃以降に限定する考え方もある(それ以前の戦いは蘆名氏側が主導的に政宗と戦ったのに対し、郡山合戦における蘆名氏は相馬氏の援軍として伊達氏と対峙しているため[2])。
出典
- ^ 泉田邦彦今泉徹坂本正仁柴裕之 2021, pp. 164–170.
- ^ 垣内、2017年、P92。垣内は郡山合戦を「相馬義胤の画策によって起こった副次的な衝突である。田村領をめぐる義胤と政宗の争いこそが、本質的な対立軸と思われる」(P92)と論じている。
- ^ 垣内、2017年、P92
- ^ a b c d 垣内、2017年、P93-95
- ^ 小林、2009年、P66-67
- ^ a b 小林、2009年、P68-69
- ^ 小林清治 2008.
- ^ a b 泉田邦彦今泉徹坂本正仁柴裕之 2021, pp. 164, 165.
- ^ 泉田邦彦今泉徹坂本正仁柴裕之 2021, p. 165.
- ^ 垣内、2017年、P104-105
- ^ 小林、2009年、P69-73
- ^ 垣内、2017年、P92・95-101
- ^ 小林、2009年、P75-79
- ^ 泉田邦彦今泉徹坂本正仁柴裕之 2021, p. 166.
注釈
固有名詞の分類
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