安積伊東氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 03:41 UTC 版)
工藤祐経の子の一人、安積祐長が泉親衡の乱の恩賞として安積郡を賜り、その子孫が安積郡に移住したのが始まり。以後、片平城や日和田館などの城を築き、蘆名氏などの有力大名に従いながら戦国時代頃まで周辺を治めた。また、一部は戦国時代から伊達氏に仕え、1588年(天正16年)の郡山合戦では伊東肥前重信が政宗らの身代わりとなって戦死した他、江戸時代の伊達騒動では伊東重孝が中心人物の一人として活躍している[要出典]。 庶流として安子島氏がいる。今現在は仙台市に安積伊東氏伊東肥前重信の子孫が在住している。
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