安子島祐高とは? わかりやすく解説

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安子島祐高

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/09 09:55 UTC 版)

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安子島祐高
時代 安土桃山時代
生誕 不明
死没 不明
官位 治部大輔(受領名)
主君 蘆名義広
氏族 安子島氏
父母 安子島右衛門大夫
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安子島 祐高(あこがしま すけたか)は、安土桃山時代武将陸奥国安積郡安子島城主。

略歴

安子島氏藤原南家の流れを汲む安積伊東氏の庶流。

安子島氏は安積伊東氏の一門にして有力な庶家であったが、戦国時代に奥州管領二本松氏に随身し、祐高の父・右衛門大夫の代までその傘下にあった[1] [2]

天正14年(1586年)8月二本松義綱二本松城から退去すると、伊達政宗に降って所領を安堵されて[3][4]、 田村家に付属されたが[5]、天正16年2月同じく伊達家に降っていた高玉常頼、荒井政頼と共に大内定綱の挙兵に呼応して離反。 蘆名家に従属した[6]

その後、伊達氏が南奥州の覇権をかけて会津黒川城主・蘆名義広と合戦に及ぶと、安積郡の諸勢力の悉くが伊達方に与する中で高玉・荒井氏と共に蘆名方に留まった[7]

祐高は籠城して伊達方に抗戦の構えを見せるが、圧倒的な兵力差の前に伊達成実の許へ使者を送って[8] 降伏し、城兵の助命を引き換えに退去[9]。 会津に落ち延びたという。

脚注

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  1. ^ 三春町史 1978, p. 496.
  2. ^ 『仙道記』には、右衛門大夫は田村家に属していたが、蘆名盛氏に攻められて降伏、傘下となったとある。
  3. ^ 本宮町史 1999, p. 573.
  4. ^ 『二本松配分之日記』に安子島治部大輔の名前が見える。
  5. ^ (天正16年)2月14日黒中(黒木宗元)宛伊達政宗書簡
  6. ^ 『伊達治家記録』 天正16年2月12日。
  7. ^ 『仙道記』
  8. ^ 『仙道記』
  9. ^ 太田亮『姓氏家系大辞典第1巻』(角川書店1963年) P.63、宮城県姓氏家系大辞典編纂委員会編『宮城県姓氏家系大辞典』(角川書店、1996年) P.440.

参考文献

  • 『本宮町史4 資料編1 考古・古代・中世』本宮市史編纂委員会、本宮町、1999年。
  • 『三春町史 第7巻 資料編1 自然・原始・古代・中世資料』三春町、三春町、1978年。
  • 太田亮編『姓氏家系大辞典第1巻』(角川書店、1963年)
  • 宮城県姓氏家系大辞典編纂委員会編『宮城県姓氏家系大辞典』(角川書店、1996年)



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