上杉義陳とは? わかりやすく解説

上杉義陳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/22 07:07 UTC 版)

 
上杉義陳
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 万治3年(1660年
死没 宝永2年2月6日1705年3月1日
別名 通称:采女
幕府 江戸幕府 高家旗本
主君 徳川綱吉
氏族 上条上杉家
父母 父:上杉長之、母:畠山義里
兄弟 長宗義陳、女子
正室:曽我助興娘
養子:知義畠山義寧三男)
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上杉 義陳 (うえすぎ よしつら)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本下総国内などに領地を有した。

略歴

万治3年(1660年)、上杉長之の次男として誕生した。貞享2年(1685年7月29日、双子の兄・長宗の死去により、家督を相続、寄合に所属する。

貞享2年(1685年)11月3日、5代将軍徳川綱吉に拝謁する。宝永2年(1705年2月6日、死去。享年46。

跡を養子の知義が継いだ。知義の実家の高家畠山家は、遡ればこの高家上杉家と実兄弟であり、知義の実父義寧の姉妹が長之の室であった。






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