畠山金吾家とは? わかりやすく解説

畠山金吾家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 02:46 UTC 版)

畠山氏」の記事における「畠山金吾家」の解説

代々衛門督衛門佐任じられたため金吾家(金吾衛門府唐名)とも称された。本来の嫡流である奥州畠山家冷遇されたのとは対照的に庶流である畠山国清知勇優れていたため重用され紀伊国および和泉国守護となり、後に河内国守護にも任命された。これが河内畠山家始まりである。 観応の擾乱においては国清は当初直義であったが、嫡流尊氏であった高国・国氏父子敗北した後まもなく尊氏派に鞍替えし、没落した奥州畠山家に代わって畠山家惣領格となる。鎌倉足利基氏補佐する関東執事関東管領)として活躍し、さらに将軍足利義詮執事細川清氏と共に仁木義長追放して一時中央の政務壟断したが、のちに義詮や基氏と対立し失脚し河内畠山家畠山国清の弟・畠山義深系統によって受け継がれる。 義深の子畠山基国当初鎌倉公方仕えていたが、足利義満側近として京の室町幕府中心に活動するようになり、管領家細川京兆家斯波武衛家対立する中で第三勢力として台頭能登国守護職獲得し、のちに畠山家人物として初めての管領職に任命される。これ以降河内畠山家代々管領輩出する家柄となったちなみに現在の京都市上京区畠山町は、この付近一帯管領畠山氏邸宅があったことに由来する地名である。 畠山満家畠山持国管領として幕政において重きをなしたが、持国後継巡り畠山政長畠山義就の子孫が互いに争い応仁の乱後両家分裂し内紛続けた西軍であった義就流畠山家官途の上総介から総州家東軍であった長流畠山家官途尾張守から尾州家それぞれ称した歴代当主源姓畠山本宗家:金吾家) 畠山貞国 畠山家国 畠山国清 - 関東執事 畠山義深 - (国清の弟) 畠山基国 - 管領紀伊国守護能登国守護越中国守護河内国守護畠山満慶 - 河内国守護などの守護、後、能登畠山家初代。基国の次男畠山満家 - 管領紀伊国守護河内国守護越中国守護。基国の長男畠山持国 - 管領紀伊国守護河内国守護越中国守護。満家の長男畠山持永 - 河内国守護。満家の次男持国の弟。 畠山義就 - 持国の子河内国守護紀伊国守護越中国守護畠山政長 - 持富(満家の三男の子管領紀伊国守護河内国守護越中国守護山城国守護

※この「畠山金吾家」の解説は、「畠山氏」の解説の一部です。
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