大野斯波家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/06 18:11 UTC 版)
義種は越前においては越前の大野郡郡司を本家の武衛家(越前守護)より任されたため大野斯波家の初代となった。将軍の推薦により朝廷より代々修理大夫、または民部少輔に任命されたため修理大夫家、民部少輔家ともいう。大野斯波家はその後も武衛家の有力な分家として斯波一族内で重要な立場にあり、実際、義種の曾孫である斯波義敏は嗣子の絶えた本家の武衛家を継いでいる。 しかしながら斯波一門内では重要な立場にあったものの、幕府内においては加賀守護職を義種の子・満種の代で早くも喪失し、同じ管領家の一族である細川京兆家における阿波細川家、畠山金吾家における能登畠山家などのように斯波武衛家における加賀斯波家としては長続きすることができなかった。 その後その存在は細川典厩家や一色式部少輔家に類似し、本家が守護をつとめる国の分郡守護や郡代をつとめる家柄に属した。
※この「大野斯波家」の解説は、「斯波義種」の解説の一部です。
「大野斯波家」を含む「斯波義種」の記事については、「斯波義種」の概要を参照ください。
- 大野斯波家のページへのリンク