畠山義綱とは? わかりやすく解説

畠山義綱(はたけやま よしつな) ????~1593

次郎 義則 義胤 修理大夫
◇父:畠山義続 室:六角義賢女 子畠山義慶二本松義隆(義有)、松波義親
 父より能登守護職を継いだ時には実権畠山七人衆握られていた。1555年七人衆最大権力者温井総貞を誅し(弘治の内乱)、近臣登用して一時的に権力回復するが、却って重臣反発招いた結局父と共に追放され近江六角氏の下に逃れる以後越後・長尾氏協力等を受け、一時能登半国まで回復に至るが、成功には至らなかった。最期近江余呉にて没。

畠山義綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/07 02:07 UTC 版)

畠山 義綱(はたけやま よしつな)は、能登国戦国大名。能登畠山氏の第9代当主。




「畠山義綱」の続きの解説一覧

畠山義綱(はたけやま よしつな)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:19 UTC 版)

センゴク」の記事における「畠山義綱(はたけやま よしつな)」の解説

通称修理大夫畠山家当主畠山氏足利氏血筋を引く名族三管領)である事を誇り思っている。家中内乱によって腹心遊佐続光に城を追放され、弟である義春と上杉家身を寄せる。「義を重んじる」と聞き及んでいた上杉家一行復位為に動かない事に焦燥募らせながら、徒に年を重ねていく。息子である義慶が自身との内通疑った遊佐謀殺され、更に孫の春王丸まで傀儡君主として人質にされる苦難を味わう。

※この「畠山義綱(はたけやま よしつな)」の解説は、「センゴク」の解説の一部です。
「畠山義綱(はたけやま よしつな)」を含む「センゴク」の記事については、「センゴク」の概要を参照ください。

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