畠山基利とは? わかりやすく解説

畠山基利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/27 07:35 UTC 版)

畠山 基利(はたけやま もととし、享和3年1月14日1803年2月5日) - 天保11年2月19日1840年3月22日))は、高家旗本。左衛門[1][2]。官位は中務大輔紀伊守式部大輔[1][2]

略歴

畠山国祥の息子として生まれる。

文化8年(1811年)12月27日、国祥の死去により家督を相続する。文政2年(1819年)2月28日、将軍徳川家斉御目見する。文政6年(1823年)12月4日、晋姫と結婚する。文政9年(1826年)11月15日、高家職に就き、従五位下侍従に叙任する[1][2]。後に式部大輔、中務大輔に改める。

天保11年(1840年)、死去[1][2]。37歳。

正妻は、播磨国明石藩藩主・松平直泰の娘・晋姫(離婚)。養子・基徳らの子女あり。

系譜

脚注

  1. ^ a b c d 東京大学史料編纂所 1963, p. 50.
  2. ^ a b c d 小川 1998, p. 2163.

参考文献

先代
畠山国祥
高家河内畠山家当主
1811年 - 1840年
次代
畠山基徳




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