畠山晴満とは? わかりやすく解説

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畠山晴満

(畠山弥九郎 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/06 17:33 UTC 版)

畠山 晴満(はたけやま はるみつ)は、戦国時代武将守護大名河内国守護畠山尾州家当主。通称の畠山 弥九郎(はたけやま やくろう)の名でも知られる。


注釈

  1. ^ 畠山国清からは、義清、持純、正純(伴雲軒紹高)、尹胤、長継と続く[7]。持純は足利義量近習で、義持義教のもとで四番番頭を務めた人物[7]永正13年(1516年)には足利義稙への進上を行う尹胤が確認できる[7]。なお、義清と持純の続柄は不明[7]。また、畠山氏には右馬頭家とは別に右馬助を名乗る家もある[7]
  2. ^ 細川澄賢は大永元年(1521年)に死去し、その子・晴賢は天文8年(1539年)1月に「弥九郎」、同年11月には「右馬頭」を名乗っており、天文7年時点では右馬頭を称していない[7]

出典

  1. ^ 弓倉 2006, pp. 261–262.
  2. ^ 小谷 2020, p. 187.
  3. ^ 弓倉 2006, pp. 309–313.
  4. ^ 弓倉 2006, p. 219.
  5. ^ 弓倉 2006, pp. 313–314.
  6. ^ a b c d 弓倉 2006, p. 314.
  7. ^ a b c d e f g h 川口成人「忘れられた紀伊の室町文化人―伴雲軒紹高の活動と系譜―」『日本文学研究ジャーナル』第19号、2021年。 
  8. ^ 弓倉 2006, p. 316.
  9. ^ 弓倉 2006, pp. 315–316.
  10. ^ 弓倉 2006, pp. 316–319; 天野 2020, p. 44.
  11. ^ a b c 小谷 2020, p. 186.
  12. ^ (天文11年)3月7日付畠山晴満書状(「興福院文書」)。
  13. ^ 大館常興日記』天文11年3月10日条。
  14. ^ 小谷 2020, pp. 186–187.
  15. ^ 福島克彦『畿内・近国の戦国合戦』吉川弘文館〈戦争の日本史11〉、2009年、94頁。ISBN 978-4-642-06321-0 
  16. ^ 天野 2020, p. 46.
  17. ^ 弓倉 2006, p. 48.


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