細川政権 (戦国時代)
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細川政権(ほそかわせいけん)は、明応2年(1493年)から天文18年(1549年)まで存在した、日本の戦国時代における武家政権である。この時期に足利将軍の権威は弱体化していた室町幕府で、細川氏宗家の京兆家当主が管領を独占して実権を握っており、足利将軍を推戴(ときには対立)しつつも実質的に政権を担った。細川京兆家による専制であることから「京兆専制」とも呼称される。
注釈
- ^ 通説では高国のあと、細川晴元・氏綱が管領に就任したとされているが、両名が細川本家の家督継承者であった事実はあっても、管領職に就任したとするのは後世編纂の『重編応仁記』などの軍記物や系譜類などのみの記載で、同時代の一次史料にはそれを示す記述はない。このため、晴元・氏綱が実際に管領に就任したことを疑問視する説がある。例えば、今谷明は『新編日本史辞典』(東京創元社、1990年)において作成した「室町幕府諸職表 執事・管領」において、細川晴元・氏綱の管領任命を事実ではないとして歴代管領から外している[1]。また、浜口誠至も細川政元の管領在任の通算は12日間、高国の場合は1か月間しかなく、他の歴代細川京兆家の当主は幕府から家督継承は認められたものの、管領に任命されたことを示す証拠はないとしている[2]。
出典
- ^ 西島太郎 著「中世後期の在地領主研究」、中世後期研究会 編『室町・戦国期研究を読みなおす』思文閣出版社、2007年。ISBN 978-4-7842-1371-9。
- ^ 浜口誠至 著「戦国期管領の政治的位置」、戦国史研究会 編『戦国期政治史論集 西国編』岩田書院、2017年、184-185頁。ISBN 978-4-86602-013-6。
- ^ 浜口 2014, pp. 112-116、280-282.
- ^ 浜口 2014, p. 287.
- ^ 馬部隆弘 著「細川晴国・氏綱の出自と関係-「長府細川系図」の史料批判を兼ねて-」、天野 忠幸; 片山 正彦; 古野 貢 ほか 編『戦国・織豊期の西国社会』日本史史料研究会、2012年。/所収:馬部 2018, pp. 516–529
- ^ 馬部 2018, pp. 680–716, 「内衆からみた細川氏綱と三好長慶の関係」.
- 1 細川政権 (戦国時代)とは
- 2 細川政権 (戦国時代)の概要
- 3 参考文献
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