細川京兆家のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 14:40 UTC 版)
「細川政権 (戦国時代)」の記事における「細川京兆家のその後」の解説
その後も晴元は政権奪回を目指して再挙を図るが、長慶に敗れて永禄4年(1561年)に和睦せざるを得なくなった(久米田の戦い)。晴元はその2年後に死去し、晴元の嫡男・昭元は氏綱と共に三好氏の傀儡となる。織田政権下でも昭元は織田信長の妹婿に迎えられて名目上旧領国丹波の旗頭として命脈を保った。
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