1433年から1444年の戦闘
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「ジョン・タルボット (初代シュルーズベリー伯)」の記事における「1433年から1444年の戦闘」の解説
タルボット卿と麾下の軍隊は解放後も軍事行動を続け、スケールズと共にフランスから多くの町を奪回した。 恐らく彼は当時最も大胆不敵な戦士でもあっただろうと考えられている。彼の部隊は、フランス軍の前進にたいする緊急機動部隊とも言うべきものであり剽悍であった。1436年の1月、タルボットは小規模な部隊を率いていたが、ルーアンの近くのリ(Ry)でラ・イルとザントライユの軍を敗走させている。翌1437年、クロトワでは大胆にもソンムの町を通過し、ブルゴーニュの兵を敗走させている。1439年の12月には、奇襲による側面攻撃でリッシュモン元帥の6000もの兵を潰走させ、翌1440年にはアルフルール(英語版)を奪還している。1441年には、4回もフランス軍をセーヌ川やワーズ川の向こうに追い払っている。しかし同年ポントワーズをフランス軍に奪還され、ディエップ攻囲も失敗に終わる。 戦功をねぎらわれ、1442年5月20日にはシュルーズベリー伯爵に叙せられた。 1444年に帰国。1445年にはイングランド王ヘンリー6世からフランス王としてフランス軍総司令官(フランス語版)に任ぜられた。同年、ヘンリー6世と結婚した王妃マーガレット・オブ・アンジューにフランス語で書かれた装飾写本を献上している。 1446年7月17日には、アイルランド貴族爵位のウォーターフォード伯爵位を与えられた。アイルランドの王室侍従長(英語版)にも任じられている。
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