1436年 - 1445年 サン・マルコ、フィレンツェとは? わかりやすく解説

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1436年 - 1445年 サン・マルコ、フィレンツェ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 10:04 UTC 版)

フラ・アンジェリコ」の記事における「1436年 - 1445年 サン・マルコ、フィレンツェ」の解説

フラ・アンジェリコ1436年フィエーゾレ修道院から、フィレンツェ新しく建設されサン・マルコ修道院へと多く修道士とともに移った。この移住フラ・アンジェリコ画家としてのキャリア重要な出会いもたらした当時フィレンツェ芸術最先端都市であり、さらにサン・マルコ修道院世俗厄介ごとから逃れるための大きな個室持っていた、フィレンツェでもっとも裕福な権力者コジモ・デ・メディチ知遇得てその後援を受けたのであるヴァザーリによればコジモフラ・アンジェリコ修道院壮大な教会参事会会議場などの内部装飾要請し階段上部の『受胎告知』や各部屋の壁にキリスト生涯描いた敬虔なフレスコ画などを描かせたとなっている。 1439年にはもっとも有名な作品一つである祭壇画マエスタ』をサン・マルコ修道院のために描いているが、この作品当時絵画として極めて異例なのだった多く聖人囲まれ聖母子という構図自体ありふれたもので、明確に天界での光景として描かれ聖人天使俗人よりもはるかに神聖な存在であることを示すために宙に浮かんで表現されるのが通常だった。しかしながらフラ・アンジェリコ描いたこの作品では聖人たちは普通に地上立っており、聖母栄光を共に分かち合うことを喜び、まるで談笑しているかのようなごく自然な姿で聖人たちを描き出している。このような構図聖会話呼ばれる絵画形式として知られるようになり、後にジョヴァンニ・ベリーニペルジーノラファエロ・サンティらも数多く聖会話手がけることとなった

※この「1436年 - 1445年 サン・マルコ、フィレンツェ」の解説は、「フラ・アンジェリコ」の解説の一部です。
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