1436年 - 1445年 サン・マルコ、フィレンツェ
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「フラ・アンジェリコ」の記事における「1436年 - 1445年 サン・マルコ、フィレンツェ」の解説
フラ・アンジェリコは1436年にフィエーゾレの修道院から、フィレンツェに新しく建設されたサン・マルコ修道院へと多くの修道士とともに移った。この移住はフラ・アンジェリコの画家としてのキャリアに重要な出会いをもたらした。当時のフィレンツェは芸術の最先端都市であり、さらにサン・マルコ修道院に世俗の厄介ごとから逃れるための大きな個室を持っていた、フィレンツェでもっとも裕福な権力者コジモ・デ・メディチの知遇を得て、その後援を受けたのである。ヴァザーリによれば、コジモがフラ・アンジェリコに修道院の壮大な教会参事会会議場などの内部装飾を要請し、階段上部の『受胎告知』や各部屋の壁にキリストの生涯を描いた敬虔な小フレスコ画などを描かせたとなっている。 1439年にはもっとも有名な作品の一つである祭壇画『マエスタ』をサン・マルコ修道院のために描いているが、この作品は当時の絵画としては極めて異例なものだった。多くの聖人に囲まれた聖母子という構図自体はありふれたもので、明確に天界での光景として描かれ、聖人や天使は俗人よりもはるかに神聖な存在であることを示すために宙に浮かんで表現されるのが通常だった。しかしながらフラ・アンジェリコが描いたこの作品では聖人たちは普通に地上に立っており、聖母の栄光を共に分かち合うことを喜び、まるで談笑しているかのようなごく自然な姿で聖人たちを描き出している。このような構図は聖会話と呼ばれる絵画形式として知られるようになり、後にジョヴァンニ・ベリーニ、ペルジーノ、ラファエロ・サンティらも数多くの聖会話を手がけることとなった。
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