内部装飾
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太和殿で用いられている煉瓦は金磚と称され、太和殿全体で4,718枚使用されている。これは蘇州地方で生産される高級煉瓦であり、その焼成過程が複雑なことから製作期間は半年以上かかったものから厳選したものが使用されている。 天井には水を意味する藻井が描かれている。そのほかの図案は竜がメインとなっており、同時に大量の金が使用されている。
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内部装飾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 05:50 UTC 版)
イスラーム建築に共通する内部装飾としては、幾何学文様、植物文様、そしてカリグラフィーがあるが、これらは、いずれも平面的な装飾といえる。 それに対して、イラン独特の内部装飾としては、エスファハーンのイマーム・モスクや金曜モスク、シーラーズのヴァーキル・モスクの入口イーワーンにみられるムカルナス(鍾乳石飾り)がある。これは、建物の壁体に対し斜めに架け渡したアーチ曲線が隅で重なり合い、交わることによってできる持ち送り状の凹面をともなった立体的な装飾である。 ムカルナスの著しい発達もまた、セルジューク朝の時代のペルシャであった。そのほかこの時代のイラン建築の特色としては、構造・装飾ともに煉瓦の利点が最大限活用されていること、また、彩釉タイルがさかんに用いられることが掲げられる。
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内部装飾
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ダフニ修道院の中央聖堂には、現在も11世紀に作成されたモザイクが残る。これはたいへん貴重なものである。
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内部装飾
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「アギア・ソフィア聖堂 (テッサロニキ)」の記事における「内部装飾」の解説
この聖堂は、第2ニカイア公会議によって否定されたとは言え、聖像破壊運動の影響が強かった頃に建設されたもので、創建当時にはアプスに十字架などのモザイクしか描かれていなかったらしい。後に聖像破壊運動が完全に収束し、東ローマ帝国の国力が回復すると、いくつかのモザイクが追加された。 オスマン帝国の時代にはモスクとして利用されていたため、モザイクは漆喰によって塗りつぶされていたが、今日、その漆喰は剥がされている。 『昇天』 885年頃に描かれたドームのモザイク。後年になると、ドームにはハリストス(キリスト)のイコン「パントクラトール」が描かれるようになるので、現在に残る初期の図案としてはたいへん珍しい。作例は、ほかにカッパドキアの岩窟修道院、アーチュ・アルトゥ・キリッセのドームにしか見られない。洗練された高い技術から、首都の技師によって描かれたものと思われる。 『生神女』 12世紀のモザイク。かつてはイスタンブールのアヤ・イリニと同じく十字架のみが描かれていた。ヴォールトにある十字架のメダイヨンは、8世紀のものと思われる。
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内部装飾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 02:16 UTC 版)
内部装飾で最も目に付く天井のフレスコ画は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ガウッリの壮大な Triumph of the Name of Jesus(イエスの御名の勝利)である。ガウッリはクーポラにもフレスコ画を描いている。 身廊の右側の第一礼拝堂は「聖アンデレ礼拝堂 (Cappella di Sant'Andrea)」と呼ばれている。これはジェズ教会を建てるために取り壊された古い教会が聖アンデレに捧げられていたことに由来する。全ての絵画装飾はフィレンツェのアゴスティーノ・チャンペッリが完成させた。アーチ上には男性殉教者が描かれ、壁柱には女性殉教者が描かれている。天井のフレスコ画には栄光のマリアとそれを取り囲む殉教した聖人たちが描かれている。ルネットには「嵐に立ち向かう聖アグネスと聖ルチア」と「聖ステファンと聖ラウレンティウス」が描かれている。祭壇飾りには「聖アンデレの殉教」が描かれている。 右側の第二の礼拝堂は「受難の礼拝堂 (Cappella della Passione)」と呼ばれ、イエスの受難の光景があちこちに描かれている。ルネットには「ゲッセマネのイエス」と「ユダの接吻」、壁柱には「キリストの鞭打ち」、「ヘロデの前のキリスト」、「この人を見よ」、「ゴルゴダの丘への出発」、「十字架刑」が描かれている。祭壇飾りは「聖母子像と祝福されたイエズス会士」が描かれているが、元々は Scipione Pulzone の祭壇飾りがあった。これらの絵は Gaspare Celio が 描いた。祭壇には18世紀のイエズス会士 St. Giuseppe Pignatelli の遺骨を納めた青銅製の聖遺物箱が収められており、彼は1954年にピウス12世によって列聖された。壁の聖牌は、21代と28代のイエズス会総長を記念したものである。 右側の第三の礼拝堂は「天使の礼拝堂 (Cappella degli Angeli)」と呼ばれ、天井のフレスコ画には「聖母戴冠」、祭壇飾りにはフェデリコ・ツッカリの「三位一体を礼拝する天使たち」が描かれている。同じ作者の絵が壁にもあり、右には「反逆の天使の敗北」、左には「魂を煉獄から解放する天使たち」が描かれている。他にも、天国、地獄、煉獄を描いたフレスコ画がある。壁柱の壁龕にある天使像は Silla Longhi とフラミニオ・ヴァッカの手によるものである。 右の翼廊にあたる大きめの礼拝堂は「聖フランシスコ・ザビエル礼拝堂」がある。ピエトロ・ダ・コルトーナの設計である。多彩色の大理石に囲まれた化粧しっくいのレリーフには「天使によって天国に迎えられるザビエル」が描かれている。祭壇飾りはカルロ・マラッタによる「上川島でのザビエルの死」である。アーチ上の装飾にはザビエルの生涯が描かれている。銀の聖遺物箱にはザビエルの右腕の一部が保存されており、残りはインドのゴアにあるイエズス会の教会に埋葬されている。 身廊の一番奥、主祭壇の右にある最後の礼拝堂は「サクロ・クオーレ(イエスの聖なる心臓)の礼拝堂」である。 聖具保管室は右側にある。聖職席にはベルニーニ作のロベルト・ベラルミーノ枢機卿の胸像がある。 左側の第一の礼拝堂は、元々は使徒に捧げられていたが、今は「聖フランシスコ・ボルハ礼拝堂」となっている。ボルハはスペインのガンディア公だったが、その地位を放棄してイエズス会に入会し、第3代総長になった。祭壇飾りはアンドレア・ポッゾの「聖フランシスコ・ボルハの祈祷式」が描かれている。天井やルネットのフレスコ画は Nicolò Circignani の作である。壁にはピエール・フランチェスコ・モーラのフレスコ画がある。絵の主題はペテロやパウロが多い。 左側の第二の礼拝堂はキリスト生誕に捧げられており、「聖家族礼拝堂 (Cappella della Sacra Famiglia)」と呼ばれている。キリスト生誕を描いた祭壇飾りはCircignaniの作品である。天井画はキリスト生誕への天界の祝福を描いており、小尖塔の上にはダビデ、イザヤ、ゼカリヤ、バルクがあり、ルネットには「羊飼いへの告知」と「幼児虐殺」が描かれている。他に東方三博士のフレスコ画などがある。4つの寓意的像は、節制、慎重さ、不屈さ、正義を表している。 左側の第三の礼拝堂は、フランチェスコ・バッサーノ・イル・ジョーヴァネ による祭壇飾りから「三位一体の礼拝堂 (Cappella della Santissima Trinità)」と呼ばれる。この礼拝堂のフレスコ画は1588年から1589年に主に3人の画家が完成させたもので、それぞれの作者はよくわかっていない。しかし、天地創造の絵や壁柱の天使たち、その他のフレスコ画は Giovanni Battista Fiammeri の作と言われている。左の壁の「キリストの変容」と右の「アブラハムと3人の天使」は Durante Alberti の作とされている。残る1人は Ventura Salimbeni である。祭壇の上の聖遺物箱には、1657年に殉教し1938年にピウス11世によって列聖されたポーランド人イエズス会士アンジェイ・ボボラの右腕が納められている。 次の「聖イグナチウス礼拝堂」はこの教会の中でも最高傑作とされており、アンドレア・ポッゾが設計した。そこにはイグナチオ・デ・ロヨラが埋葬されている。ポッゾが設計した祭壇は「三位一体」を表しており、ラピスラズリで装飾された4本の円柱が Pierre Legros 作の聖イグナチウスの巨大な像を取り囲んでいる。ただしこの像は後世の複製でアントニオ・カノーヴァの工房で働いていた Adamo Tadolini の作と言われている。本物はピウス6世がナポレオンへの戦争賠償金を支払うためという名目で溶かした。もともとはジャコモ・デッラ・ポルタが設計したが、後に祭壇の設計を公募し、ポッゾの設計案が勝利した。聖イグナチウスの遺骨を納めた聖遺物箱はアルガルディの制作した青銅製で、その左右に「異教を打倒するキリスト教」という像と「邪教を打倒するキリスト教の信仰」という像がある。日中、聖イグナチウスの像は大きな絵で隠されているが、毎日17:30になると大音響の音楽と共に絵が下にスライドし、像が現れてスポットライトで照らされる。 身廊の一番奥、主祭壇の左にある最後の礼拝堂は「Madonna Della Strada の礼拝堂」と呼ばれている。これは現存しない教会で見つかった中世のイコンに由来する名称で、聖イグナチウスがそれを敬慕していたという。内装は聖母の生涯を描いている。
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