オスマン帝国の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 20:56 UTC 版)
オスマン帝国の支配は15世紀から約500年にわたって続くが、イピロスはしばしばオスマン帝国の完全な支配から外れている。ヒマラ(現アルバニア領Himarë)やザゴリ(英語版)は、オスマン帝国の支配に対する抵抗を組織し、一定程度の独立を保った。1443年にはオスマン帝国に臣従していたアルバニアの貴族スカンデルベクが反旗をひるがえし、イピロスの北部も彼の支配下に入った。1468年にスカンデルベクが病死するとヴェネツィアの支配下に入り、オスマン帝国がヴェネツィア人を下してイピロスの支配を回復するのには15世紀の終わりまでかかることとなった。 16世紀から19世紀にかけて繁栄の時期を迎えたヨアニナは、近代ギリシャ啓蒙運動の中心地となり、多くの学校がつくられた。18世紀になるとオスマン帝国の力が陰り始め、イピロスはアルバニアの豪族出身のテペデレンリ・アリー・パシャに支配された。アリー・パシャは1788年にオスマン帝国から地方総督として任命されたが、ヨアニナを中心とし現在のギリシャ西部からアルバニアにまたがる半独立国を築き上げた。その時々に応じてフランス帝国やイギリスとも手を結んだアリー・パシャは、1821年にギリシャ独立戦争が開始されると独立を確保しようとしたが、バルカン半島におけるこれ以上の勢力の後退を嫌うオスマン帝国政府により1822年に殺害された。ギリシャが独立した後もイピロスはオスマン帝国領にとどまった。
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